Aではない君と

テレ東開局55周年特別企画ドラマを見た。 

 

Aではない君と (講談社文庫)

Aではない君と (講談社文庫)

 

 

泣かされたー。

 

少年が少年を殺めてしまうお話。

 

でも、読めそうな展開の斜め上をいく。

 

人間って、そう単純じゃないですもんね。

 

薬丸さんって、こういうお話を書かせたらリアルすぎて読後感重すぎ。 

天使のナイフ (講談社文庫)

天使のナイフ (講談社文庫)

 
友罪 (集英社文庫)

友罪 (集英社文庫)

 

 

でも、似たようなドラマなら、

 

アイシテル~海容~ DVD-BOX

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とか

 

 

 

も重かった。

 

でも、現実には

 

「少年A」この子を生んで……―父と母悔恨の手記 (文春文庫)

「少年A」この子を生んで……―父と母悔恨の手記 (文春文庫)

 

 

 

絶歌

絶歌

 

 ですから。

 

事実は小説より、ですね。

 

乱反射ではありませんが、僕は読むなら小説だけでいいです。

どうせみんなやってるんだからいいよね

 

乱反射 (朝日文庫)

乱反射 (朝日文庫)

 

 

テレビのスペシャルドラマを見て、まるで映画みたいな作りで面白かったので原作を読んでみた。

 

何よりテーマが秀逸。

 

誰でも日常の中でちょっぴり罪悪感を覚えつつもやってしまう行いってあると思います。

 

たとえば、本当は捨てちゃいけない場所なんだけど、ゴミがいっぱいになっているからそこに自分も捨ててしまうような。

 

片付ける人の事はほとんど考えないし、仮にそこが公共の場所だとしたら仕事で片付ける人がいるからいいんだろうと、仕事なんだし。税金払ってるし。

 

でも、もし自分が片付ける立場になったらやり場のない怒りに顔の見えない相手を恨みたくなるもの。

 

そう言えば、近所の自販機のゴミ箱もしょっちゅう缶の山であふれかえっている。

 

明らかにその自販機で売られていない名称の缶が投函口からはみ出している。

 

街中のコンビニのゴミ箱もどこかのカップ入りのコーヒーが投函口を塞いでいる。

 

果ては、投函口自体を持ち上げて、いろんなゴミがぎゅうぎゅうに詰められている。

 

この小説はそんな人々の何気ない行為が悲劇をもたらすお話。

 

主人公は新聞記者で多忙な毎日を送りつつも、二歳の幼児と奥さんの三人家族。

 

そんな絵に描いたような幸せな家族にある日悲劇が訪れます。

 

ある風の強い日、道路の脇に生えている大木がベビーカーを直撃し、幼児が亡くなるのです。しかも運悪く、渋滞に巻き込まれ、近くの病院には手が回らないと受け入れを拒否され、事件発生から2時間以上も経って遠くの病院に運び込まれるのです。

 

夭折した息子の悲しみにうちひしがれながらも、彼は責任の所在を追及しようと行動します。

 

普通に考えれば行政の管理体制が問われそうですが、樹木が倒れた理由は一筋縄では落ち着きません。やがて、様々な人々の悪意なき行為を起因としている事が判明していきます。

 

このお話のテーマは主人公のこんなつぶやきが全てです。

 

「みんな少しずつ身勝手で、だから少しずつしか責任はなくて、それで自分は悪くないと言い張る。俺は誰を責めていいか分からなくなってきた。世界中の人全てが敵で、全員が責任逃れをしている気がする」

 

でも、最後まで読めば、実は。

 

ドラマの方はむしろ主人公が開き直るような風にも見えましたが、それ以外は原作に忠実で一部の登場人物を省き、地味なシーンを見せ場に変えつつ、なかなか見応えがありました。

 

個人的には、この小説はドラマのように最初に悲劇的なシーンを持って来て、構成としては読者が主人公目線で事件を追求するうちに真相を知る方が好みでした。

 

というのも、特に小説では登場人物の内面が描かれるので、読者は先になぜその行為をするに至ったかという理由まで知る事になります。

 

後半、主人公が新聞記者らしく調査を始めるのですが、一見無関係な個々の行為になぜ?と疑念を抱いても、読者はすでに知っている事ばかりで面白みを感じられません。

 

もっとも、そんな事は百も承知でそういう構成にしたのだとは思いますが。

 

ただ、この小説は、もしかしたら自分の背徳的な行為がどこかで誰かに影響を及ぼすかもしれないという、地味だけどもチクリと蚊に刺されるような痛みを伴うお話として、読んだ後もずっと心に残り続ける秀作だと思います。

 

あの角から誰かが飛び出すかもしれないと思い始めると運転すらできないですが、少なくとも他人に迷惑をかけないよう心がけたいものです。

ある車掌

ただ流れる窓の外を

観るだけのお仕事です

 

ある車掌

ある車掌

 

 

 

星野源さんの「ある車掌」の出だしの歌詞。

 

実際はずっと運転だけでも無いのでしょうが、その車掌さんの背中を眺めてたりすると、

 

何考えてるんだろうなと思ってしまう時があります。

 

でも、どんなお仕事にも待機時間ってありますよね。

 

販売員の方ならお客様を待つ時。

 

荷物の受け取りを待つ時。

 

信号待ちのドライバー。

 

看板持ちの人。

 

仕事中なんだけど、拘束された中での空白の時間。

 

あまりにも長いと、自分の時間をお金に変えているような気持ちにとらわれそうです。

 

時間の過ごし方は人間である限り一生ついて回る悩みだと思いますが、自分のためばかりに時間を使っているのも案外つまらないものなので、僕はどこかで誰かのためになるような時間の使い方が理想です。

 

そのためには、自分の中にいろいろ貯めておかないと。線路は前に続く。

川べりで話す高校生

 

セトウツミ コミック 全8巻セット

セトウツミ コミック 全8巻セット

 

 映画やドラマにもなったので名前くらいは知っている人もいると思います。

 

セトウツミ

セトウツミ

 

 

笑いに挑戦した漫画としては、漫画という形式を活かした作品で好きでした。

 

笑いの間って本当に難しい。

 

映像化されて余計にそう思ってしまった。

 

さらにこの漫画は文字としての笑いもあるし、いろんなパターンを試みているので映像に向くものとそうでないものがあります。

 

まぁ、それはさておき、

 

この作品には何とも言えない空気感があるんですよね。

 

ただ高校生が漫才のような会話をしているだけなのに、ほぼワンシチュエーションのはずがそれぞれのキャラクターの背景を想像させる。

 

最終巻を読むと分かりますが、結構重いです。

 

でも、何だかいつまでもこの二人の会話を聞いていたいなと、ふと川辺に目をやるような素敵な作品です。ちょっと文学だな、コレ。

自分を変える教室

 

スタンフォードの自分を変える教室 (だいわ文庫)

スタンフォードの自分を変える教室 (だいわ文庫)

 

 自分の意思の弱さをどうにかしたいと考えている人に読んでほしい本。

 

各章の最後にまとめがある。

 

自分が後悔する行為を分析し、それをどう止めるかの実験例が挙げられています。

 

効果的なものとしては、やっぱりまずは瞑想。

 

自分の内面を見つめる事で抑制する方法。

 

印象的だったのは、

 

人は何かよい選択をすると、次に悪い選択をしても気にとめなくなるというもの。

 

例として、チーズバーガーだけだとカロリー高そうと思って迷うのに、サラダやゼロカロリー飲料をつけるとまあいいやと思ってしまう。

 

あるいは、100円ショップに行って必要な物以外も安いからと買ってしまうアレ。

 

また、明日からという先延ばし。明日も同じ選択をしますと(苦笑)

 

スマホアプリやネット販売の宣伝はドーパミンを誘導するように作られ、店に行けばワゴンセールが目立つ場所にある、と。

 

そういう誘惑に打ち勝つためのプログラムが紹介されています。

 

では、最後に問題。

 

このブログの事は考えないようにしてください。

 

思考のコントロールの難しさがそこにあります。

 

ドラッカー

 いつか読もうと思ってはいたけど、結構時間経っちゃったなシリーズ。

 

会話が多くて読みやすいので1時間くらいで読めた。

 

まぁ思った通りの本。

 

タイトルにあるように野球部のマネージャーになった女子高生が入院している友達のために弱小チームを甲子園に連れていこうと考える。

 

何かマネージャーに関する本は無いものかと店員に尋ねたら、 

 

 

マネジメント[エッセンシャル版] - 基本と原則

マネジメント[エッセンシャル版] - 基本と原則

 

 

を紹介されると。

 

って、おい。

 

女子高生が起業するのか?って、ちょっと考えないかなとも思うのだけど、

 

そもそもこの本はマネージメントに出会った作者が感銘を受けて思いついたのだから、入門書的位置づけなので、そこはお約束。

 

だから、主人公のみなみちゃんも間違って買った事に気づきつつも、高い本だから読んでみようとハマる。

 

さらに本に書いてある事を半ば強引に読み替えて、野球チームにあてはめていくのだ。

 

ある意味、怖いぞこの子。

 

何か問題が起きると、みなみちゃんは得意顔で「マネジメントにはこうあるわ」と持ち出すのだ。

 

これはウザい。

 

例えば、僕が職場で議論をしている人に「D・カーネギーさんが『人を動かす』という世界的名著で言ってるんだけど、なるべく議論は避けて相手の誤りは指摘しない方がいいですよ」なんて言いだしたら、まぁ一回くらいはいいかもしれないけど、

 

松下幸之助はねー」

「ナポレオンヒルはー」

 

たぶん僕が動かされるでしょう、どこかに。

 

あと、ここに出てくる人はみんないい人ばかりで、マネジメントの教え通りに話が進んでいきます。さらによくあるお涙展開も。

 

でも、作中で登場人物に語らせてるように、マネジメントという古典的名著を野球部に転化しようとした事が発明だと思います。

 

そして見事にビジネスとしても成功したので、作者自らマネジメントしたわけで。

 

今まで数えきれない人が読んできたはずなのに、こういうビジネスにつなげた人がいないところが偉大です。

 

もし八百屋のおばちゃんがマネジメントを読んだら、旦那にとにかく働けと言われDVを受けて離婚した、ではもう違う話ですもんね。

 

 

自由の牢獄

タイトルは知っているけど、いつか読もうと思って読んでみたら、またいつか読みたいと思える素敵な本に出合えましたシリーズ。

 

ところで、いつも迷う表現が、

 

「出会う」と「出合う」です。

 

本と「出あう」場合は、出合うが正しいのかもしれないけど、僕としては書いた人に出会うという感じなので、どうも出合うに違和感を覚えます。

 

どっちでもいいじゃないかと思えばそれもそれですが。今日は出合うにしてみました。

 

さて、

 

本を読んでいると、自分が漠然と考えていた事がすでに誰かに言葉として表現されていてびっくらこいたという経験は少なからずあります。

 

まぁ、映画や歌でも、ああこの感じ分かるなぁと共感するアレですね。

 

そういう意味では、この『自由の牢獄』という話は、僕には頭をハンマーでガツンとやられた感があります。

 

自由の牢獄 (岩波現代文庫)

自由の牢獄 (岩波現代文庫)

 

 

 

若い時にありがちな、この感覚は俺にしかわからねえゾ的な優越感を打ち砕かれたような。

 

つまりは、そういう感覚って結構みんな持ってるんだよと高みから引きずりおろされたような感じ。

 

そもそもこの本の存在を知ったのは、受験生時代のこちらの参考書にあった大澤真幸さんの「もうひとつの<自由>」という講演録です。

 

MD現代文・小論文 (MDシリーズ)

MD現代文・小論文 (MDシリーズ)

 

 

かいつまんで書くと、あまりにも選択肢が多いと束縛されてしまうという寓話です。

 

親に勉強しなさいと監視されていると目を盗んでゲームをしたくなるけど、いざ大学生になるとあり余る時間が足かせとなって、何をしていいか分からなくなるような状態。

 

君は何にでもなれると言われると逆に自分は何をしたいかと自問するアレ。

 

自分探しって、自分の中に何か無いと出てこないのに、何も貯めずに何かが湧いて出てくるような幻想に駆られるアレ。でも、こちらは探す事すらできないさらに前の段階。

 

目の前にどこでもドアがズラッと並んで、どこへでも行けるのにドアすら開けない状態。

 

まぁ、どこでもドアの場合は思い浮かべた所に行けるので一枚の扉だけでいいのだけど。思い浮かばずにドアノブに手もかけられない状態を描いているわけです。

 

で、そんなミヒャルエンデさんの代表作の一つが、

 

モモ (岩波少年文庫(127))

モモ (岩波少年文庫(127))

 

 

果てしない物語

 

はてしない物語 (エンデの傑作ファンタジー)

はてしない物語 (エンデの傑作ファンタジー)

 

も超有名なのでいつか読もうと思っているのですが、今回は『モモ』の話。

 

都会から外れた淋しい場所に、今ではすっかり廃墟と化したすり鉢状の劇場がひっそりとあります。

 

ある日、そこにくしゃくしゃの真っ黒巻き毛をした見すぼらしい身なりの少女が住みつきます。

 

少女の名はモモ。

 

モモはとっても聞き上手で人々は少女の元に訪れ、話を聞いてもらううちに晴れ晴れしい気持ちになります。やがて評判は伝わり、どんどん人々が集まってきます。

 

ところが、ある日を境に人々は集まらなくなります。

 

モモはどうしてみんなが来なくなったのか理由を聞き出すために、人々を訪ね歩きます。

 

実はかつて廃墟を訪れた友人たちは、みんな目の前の忙しさに時間のゆとりを失くしていたのですが、モモと話すうちに昔の気持ちを取り戻し始めます。

 

まぁ、ここまではありそうな話だとゆったりした気持ちで読んでいたのですが、ここから物語はまるでドラえもん長編映画に出てくるタイムパトロールとバトルするような展開になっていくのです。

 

黒の組織ならぬ灰色の男たちが登場します。彼らは人間の時間に対してある計画を企てます。

 

しかし、その計画を実行するには、モモという存在が邪魔である事に気づきます。

 

そこで、彼らはモモを孤立させる作戦に出ます。果たしてモモは彼らの人類に対する野望を阻止する事ができるでしょうか?

 

こんなに映像が頭に浮かぶ作品も珍しい。僕は基本的に文字から映像を展開できないタイプなので、論理だけを追いかける方なのですが、これはこのままアニメ化して欲しいくらい興奮しました。

 

児童文学おそるべし。侮るなかれ。もちろんこの作品も寓話です。

 

子どもの時に読んでいれば、きっとよく分からずにストーリーの面白さにひかれたと思いますが、今読むと時々本のページを閉じて考えたりするくらい読むのに時間のかかる作品でした。

 

印象深いところを抜粋してみると、

 

道路掃除のベッポさんがモモに語りかけるセリフ。

 

とっても長い道路をうけもつことがあるんだ。おっそろしく長くて、これじゃとてもやりきれない、こう思ってしまう。

 

そこでせかせかと働きだす。どんどんスピードをあげてゆく。ときどき目をあげて見るんだが、いつ見てものこりの道路はちっともへっていない。

 

だからもっとすごいいきおいで働きまくる。心配でたまらないんだ。そしてしまいには息がきれて、動けなくなってしまう。道路はまだ残っているのにな。こういうやり方はいかんのだ。

 

いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな?つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、つぎのひと掃きのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。

 

するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな、たのしければ、仕事がうまくはかどる。こういうふうにやらにゃあだめなんだ。

 

ひょっと気がついたときには、一歩一歩すすんできた道路がぜんぶおわっとる。どうやってやりとげたかは、じぶんでもわからんし、息もきれていない。

 

これがだいじなんだ。

 

なるほど。

 

あと、物語のある場面で出てくるなぞなぞ。

 

三人のきょうだいが、ひとつの家に住んでいる。

ほんとうはまるですがたがちがうのに、

三人を見分けようとすると、

それぞれがたがいにうりふたつ。

一番うえはいまはいない、これからやっとあらわれる。

二ばんめもいないが、こっちはもう出かけたあと。

三ばんめのちびさんだけがここにいる、

それというのも、三ばんめがここにいないと、

あとの二人は、なくなってしまから。

でもそのだいじな三ばんめがいられるのは、

一ばんめが二ばんめのきょうだいに変身してくれるため。

おまえが三ばんめをよくながめようとしても、

見えるのはいつもほかのきょうだいの一人だけ!

さあ、言ってごらん、

三人はほんとは一人かな?

それとも二人?

それともーだれもいない?

さあ、それぞれの名前をあてられるかな?

それができれば、三人の偉大な支配者がわかったことになる。

三人はいっしょに、大きな国をおさめているー

しかも彼らこそ、その国そのもの!

そのてんでは三人はみなおなじ。

 

今日もこんなネットの片隅の戯言にお付き合い頂いてありがとうございました。

書いている間は、夢中になって、あっという間に時間が過ぎていきますが、その時間が愛おしい。

そしてこれからも。

 

これがなぞなぞの答えです。