school of fish は魚の学校か?
school of fish を訳す場合、「魚の学校」と訳してしまいたくなるのは分かるけど、そのままにしてしまう人はきっと辞書を引かない人だろう。
まだ「めだかの学校」と訳す人の方が、「雪がとけると春になる」と答えるような、ある種の感性を感じる。昭和歌謡のようなベタさはあるが。
ここで、fishが複数形にならないのはお約束。
何かのお約束ごとに疑問を持ったら参照する本
によれば、単複同形の名詞には、sheep(羊),carp(鯉),trout(マス),deer(鹿)という例が載っています。
さて、魚が学校に通うのだろうか?と考えれば辞書の出番。
そこで、schoolを引いてみても、学校、授業、(大学の)学部、学派などという訳語がずらずらと並び、どうもしっくり来ません。
でも、ここで「学校」以外にもこんなに訳があるんだと感心したり、ちょっと辞書を引いてみようかなと思った人ならきっとこれから書く話にも興味を持ってくれるだろう。
今、この訳語から学校関係のイメージを持つだけでも、今後schoolに対してのアンテナが張られることになる。
時間的制約のある受験勉強において一語一訳の単語集に頼るのは仕方ないし、頻出単語の第一義を始めの取り掛かりとすることは誰しも経験があると思いますが、ある程度の勉強が進めば、どうやらそれでは済みそうにないという事も分かってきます。
そして、いつも誰かが教えてくれるわけでもありません。
この短いフレーズには文脈というものは存在しない。
そして、これが造語でないとするなら、ここは辞書の出番である。そうして根気よく説明を見ていくと、「(魚などの)群れ」という説明が現れる。
そこで、これを単に知識の問題だと片付けてしまう人とは話が合わないだろう。たまたま出合った未知の単語やフレーズは、これから先も必ず訪れる。これはもちろん英語だけの話をしているわけではない。
言葉というものは、どんどん増殖し、消失していく。そして、記憶できる量は限られている。そんな時に頼りになるのが辞書やネットになるだろう。
でも、そこからまた今のような話になる。
まずは調べるか調べないか。
調べたとして、単に知識の記憶とするか、何かを考えるか。
僕がこのフレーズに出合った時、「群れ」というものをイメージした。そして、学校も「群れ」だし、授業も「群れ」だし、学部も学派も流派も「群れ」だと思った。
元々の語源が正しいとか正しくないとかの話ではなく、「学校関係の群れ」に使う言葉だと認識して、以後そのイメージは忘れない。
日本語のダジャレと英語の意味をむりやり語呂合わせで結びつけるような記憶術よりもよほど使えるし、実際忘れにくいのは本来の語源からそう遠くない部分を探ろうとした結果だと思う。
以前にも書いたように、言葉とは先に意味があったのではなくて、あるコトやモノをそう呼ぼうと思った瞬間に生まれたのであり、その言葉がシンプルであればあるほど、使いやすいのでいろんな意味に分かれたのだと僕は考えている。
もしschoolが60文字くらいのアルファベットの組み合わせなら、使用頻度は低く、使用されたとしてもそれはおそらく1つの訳しか与えられないような専門用語になっていただろう。
頭を使わない作業ほど記憶に残りにくいものはない。短期記憶、たとえば意味のない数字の羅列は繰り返し暗記しないと持続は難しい。
電話番号や暗唱番号、パスワードは必要だから覚えているけれど、暗記量には限界がある。
頭を使わない例として、
から引用させて頂く。
He has made five mistakes in as many lines.をどう訳すか。少し考えてみてください。
本の中では比較級の説明として出されているので、多少これから書くことと趣旨は異なるのだけど、それはさておき。
まず、lineについて。
これはいわゆる多義語である。だから呪文のように意味を羅列して覚える人は多いだろう。もちろん僕も初めて勉強した時はそうだった。
ただ、言葉のイメージをとらえようと思うようになってそれは変わった。
一応、この言葉の意味を羅列すれば、線、電話線、列、ひも、行、方針、方面、路線などなどである。
でも、僕のイメージは一本のラインだ。
何もないところに一本線があるような、そんなイメージ。あとは文章に合わせて訳出するだけ。お似合いの日本語を探してあげる作業。
電話線は線だし、行列は遠目に見れば線だし、ひもも線だし、文字が連なった行も遠目には線だし、会社の方針もある方向に向けての線だし、方面も路線も線だ。
で、例文に戻れば、これは何かのラインで間違いをおかしたということで、前後の文章が無いので特定しづらいけれど、まぁ「行」である。
ちなみにこのブログの流れはすでに学校という伏線?を張っているので、彼は学生としましょう。
なんだその誘導は?ーというのはここでは問題ではない。
ここまでをヒントに訳して欲しいだけだ。
「彼は多くの行で5つの間違いをした」と訳した人がいたならば、残念ながら不正解だ。
でも、それが間違いだと知って辞書や文法書を引こうと思える人には救いがあると思う。そうではなくて、as many は「(それと)同数」という意味でしょ、それくらい知ってるよという人ほどいつかどこかで言葉のしっぺ返しがくるような気がしてならない。
熟語やフレーズを知識で知っているという人は、ググって済ます人に似ていると思う。頭を使わずに調べるのは楽だ。調べるだけまだましかもしれない。
けれど、自分の必要な知識を得てそこから大して深入りせずに立ち去ることは、危険だと思う。
そんなベタなことを今更とは思うけど、今は言葉に対するアンテナの強度ということに限定してあえて言いたい。
日本語で先ほどの誤訳を考えてみよう。
多くの行で彼は5回ミスをするというのは変ではないだろうか?
なぜ、彼はそんなに間違うのかと聞いているのではない。何かの文章を書いていて、誤字が多いとしよう。
でも、それがなぜ5回と特定されるのか。
今ここに彼が書いた文字の行が30行あるとして、全部の行で彼は5回ずつミスをするのは言い過ぎだとしても、2行や3行置きに5回ミスするとは確信犯であって、普通はありえない。
もし、そう訳した人は、では日本語でそのような表現をあなたはするだろうか?と問いたい。もしするのなら、ちょっと日本語そのものの文章力を疑った方がいいとさえ思う。
きっとどこかで誰かを誤解させるような文章を書いてしまうのではないだろうか。あるいは僕のこのブログからミスだけを探すようなさもしい人間に成り果てていないだろうか。
確かに例文くさい例文ではある。正しい訳は「彼は5行で5つの間違いをした」だ。
でも、「1行に5回間違った」と訳す人の方が英語力はともかく日本語としてはまだましだと思う。少なくとも知識だけで機械的に訳している人よりは文意について配慮がある。
同じく富田先生の本から引用させて頂こう。ちなみにこれは本文そのままの説明だ。
「彼は財布を盗まれた」という文章を和訳して欲しい。
難しい単語も無い、受動態にすることも分かる。
ではシンキングタイムスタート。
考えてる?
頭使いましょう。
考えた?
きっと何かが残りますって。
では、
これを訳して、
He was stolen his purse.としてしまう人が(僕を含めて)多い。
それぞれの単語を英語に置き換えて、中途半端な文法知識のルールをあてはめる。
この問題は動詞には文型のパターンがあることの大切さを教えてくれる。
富田先生の読解ルールによれば(というよりどの文法書にもある普遍の法則をそう言ってるだけでテクニックではないことはもちろん自明として使っておられます)
「受動態は元の(能動態の)動詞の目的語を主語の位置に移しかえたものである」
英語から日本語に訳す時、受動態を能動態に戻して説明されたことは何度もあるはずだ。だから、和訳する時もその逆の手順で正誤を確かめなければならない。
受動態の元の文中の動詞は他動詞である。
他動詞とは何だっけか?
他を求める動作の詞(ことば)である。自動詞は他を求めず自立しているわけです。典型的な動詞で言えば「走る」。主語が走っていて、他のもの(目的となる語)は必要ではありません。
例文では、彼は財布を盗まれた、つまり「彼の財布を」盗まれたであり、「〜を」と他を求めている動詞が「盗む」です。
もちろんstealには「盗みをする」という自動詞の意味もあるので、動詞の訳で悩んだら訳語を探すのではなく、その動詞の同じ文型の例文を探して、そこから訳語を選ぶのが手順です。
決して、名詞のように訳語の羅列を見て日本語に合う訳をあてはめるのではありません。そもそも文中の動詞がどれであるかを認識できずに文章は読めません。ましてや外国語は。そして、その意味は今の手順以外では特定できません。
ここで余談ですが(というより全ては余談ではないかというのは愚問の極み)、小学校の国語の授業で初めて動詞を教えてもらった時に、
先生が動詞の説明をした後、「ーう」で終わる単語ですよ。一人ずつ言ってみてと言われ、「走る」「作る」「たたく」と順番に続き、ある女の子が「こんぶ」と言って爆笑になったことを思い出しました。
動作を表してないがな。
さて、話を戻しますと、
主語 steal 目的語. という能動態の文章は、受動態になると、
目的語 be stolen by 主語.
の位置へと移り、ちょっと説明くさくなりますが、
主語(=元目的語) be stolen by 目的語(=元主語).
になるわけで、だから
His purse was stolen by him.
でしょうか?
彼の財布は彼によって盗まれた?
最初に誤訳した英文は
He was stolen his purse. でしたから、「彼の財布を」という目的語が主語の位置に行き、「彼」という主語を目的語の位置に戻すとそうなります。自作自演でしょうか。
「彼は財布を盗まれた」という日本語を誰かに日本語で伝える文章を書く時に自作自演という意味でそう書いたなら、やはりそれは通じないでしょう。
正しくは、
His purse was stolen.
これが日本語と英語の文法の違いなのです。発想の違いと言ってもいいでしょう。
頭を使わずに訳すおかしさが伝わったでしょうか。
僕はアンダーラインが初めから引かれた本が苦手です。あるいは太字が強調された本も。
英文読解でも始めからスラッシュがつけられていたり、直読直解として日本語ですでに意味のかたまりが載っているような本は使いません。
理由は一つ、自分でしていないから。
どこが大事で、何を強調するかは自分で決めないと頭に入りません。たとえ、それが間違った箇所であったとしても、いつかその間違いを修正した時、それは必ず自分の中に残ります。
よく問題を解くより問題を作る方が何倍も勉強になると言いますが、誰かの作った問題をただ紹介するよりも問題をオリジナルで作るまではいかなくても、類題を作るだけでも相当頭に残ります。
別に本を読む時、線を引こうと言ってるのではなくて、引こうと思うだけでも文章から何かが残ります。要は自発的に学ぶかどうかですね。
魚の学校から卒業できたら、学校に頼らなくても学べるかもしれません。
うわっ。
いや、ウオッか。ギョギョッ!