はずれスライムのつぶやき

どうでもいいことについて適当に考察していきます

今日は今日と読む?

時々、メンタリストのDaigoさんの動画から教わった電子書籍音声化を歩きながら利用しています。

 

これは、iphoneの一般設定からアクセシビリティのボイスオーバー機能をONにして、画面の状況を音声で読み上げてくれる機能を使い、電子書籍の文章を読み上げさせるというものです。

 

メールを読み上げたりもできます。

 

しかし、この機能は便利ではありますが、日本語の読み方の難しさも実感します。

 

まずは人名。山内さんをサンナイさんと言われた時は、文字を見るまで何のことか分かりませんでした。

 

慣れてくるとそれも楽しめますが。

 

後は、一日を「いちにち」と読まず、「ついたち」と読みます。

 

そう、文脈で判断はできないんですね。

 

そして、タイトルの今日。

 

「きょう」と読まずに「こんにち」と読む。なぜあえてそっちを?

 

そんな仰々しい小説はあまりないぞ。

 

「今日は寒い」を「コンニチハサムイ」と機械音声で読むのは寒さが増します。

 

ある程度文節で判断すれば分かりそうなものだけど、きっと前からそのまま単語区切りで読む機能なのだろう。

 

「今日において」は「きょう」とは読まないだろうに。

 

挨拶はどうなるのだ。

 

ひらがなならいい。

 

「こんにちは」だ。

 

しかし、「今日は」と漢字まじりに書いて「キョウハ」と読み上げれば、

 

昭和の名曲「今日は赤ちゃん」は

 

まるで一日(ついたち←オイ)限定ではないか。

 

と思って、検索したら、 

こんにちは赤ちゃん

こんにちは赤ちゃん

 

 

ひらがなだった。

 

というか、ここまでの文章をちゃんと読んでいる人なら、お前が使っている音声機能では「今日」は「こんにち」と読み上げるのではなかったか、というツッコミもあろう。

 

書き手にだまされてはいけない。

 

全ては戯言である。

 

虚言ではない。

 

が、

 

まぁどちらでも強ち間違っていない。

 

「あながち」である。

 

これをどう読み上げるだろう、などと違う興味が湧きだすともうストーリーが頭に入って来ない。

 

画面を見ながら、次の文字はどう読むのかとドキドキする。

 

そもそも画面を見なくても電子書籍という本が読める(聞ける)から使っているのに、文字通りの本末転倒である。

 

「健やか」を「ケンやか」と言われると、悲しい事情で離れ離れになった親子が涙の再会シーンで、

 

「賢也か?賢也なのかい?」

「か、かあさん」

 

みたいな全く別のストーリーに持ってかれそうになります。

 

はい、嘘です。

 

虚言です。

 

すいません。

 

スイマセンデシタ(棒読み)