生きているだけで、愛
というわけで、前回原作を読んだ僕は、映画を観たのであった。
で、感想はと言えば、ほぼ原作小説に忠実。読んだ人なら伝わると思いますが、屋上のシーンもまんまです。
小説は怒涛のように迫り来るリズミカルな文章で一気に読ませるのですが、映画では、原作にはない菅田将暉演じる津奈木(つなき)くんの仕事シーンも描かれているので、趣里さん演じる寧子(やすこ)目線の小説より彼の人となりが分かりやすかったです。
深読みかもしれませんが、小説では二人が同棲しているマンションの部屋は、ドアで仕切られているものの、映画ではアコーディオンカーテンで仕切られており、いつでも簡単に開けられるのに決して互いに開けないところが、二人の距離感を象徴しているように思えました。
また原作では一人称で内面が描かれる部分を姉とのLINEで表現する辺りは見せ方として感心しました。
元カノで陰湿な嫌がらせをする仲里依紗さんは、もっとはじけても良かったと思いますが、この映画は何よりも趣里さんの一見笑っちゃうくらい狂った女、でもなんかほっとけないキャラが全編を覆っていて、金八ファイナルで出てた親の七光りに思えた女の子が見事に脱皮して女優になったんだーと圧倒されました。
また、普段は破天荒なキャラを演じることが多い菅田将暉も今回は内面がよく分からない地味な役を演じています。
でも、そこはさすが日本アカデミー俳優。彼が時に見せる表情はやっぱりスゴイ。目は口ほどに物を言うとはいいますが、それを演技で示せる役者はそうはいません。
においても彼は地味な脇キャラでしたが、存在感がすごくて、出てくるだけで惹きつけるものがありました。
もちろん、それ以外にもたくさんのドラマや映画に出ていますが、ドラマ俳優と映画俳優に分けるとすれば、彼は間違いなく後者。スクリーンの大きさに負けない、存在感が際立つ稀有な若手俳優だと思います。
他に目に憂いがある若手俳優と言えば、トドメの接吻にも出ていた、まるでジョジョのキャラから抜け出したような
の新田真剣佑もかなりのものでしたが、トドメでは菅田将暉の方が印象がすごかったです。ちなみに主演は山崎賢人ですけど、門脇麦ちゃんが健気で泣かせますね。
そう言えば、菅田くんは帝一でもぴったりハマってましたね。
まぁ、それはともかく、この映画は趣里さんの怪演が全てです。案外、男女逆にしてもこの二人ならいけるかもしれない。
過眠、メンヘル。バイトを始めればますますひどい過眠症に苦悩する25歳の女性。
自分でもどうしようもなくて、彼氏に負のエネルギーをぶつけるのですが、まともに受けてはくれないまま送る惰性のような同棲生活。
でも本当はどうにかして、この自堕落な居候生活から抜け出したいと苦悶する寧子。
物語が進むにつれて、二人は寄り添います。
寄り添う二人は、なるべくしてなった二人なのかもしれません。
誰かに弱さを見せられるということはとても幸せなことなのに、弱さを見せたいと思えるには見る側にも受け止めるだけの精神状態が無いと難しい。
寧子が津奈木に分かってもらいたいのなら、寧子も津奈木のことを分かってあげないと始まらない。でも、もし寧子がそうしようと思っても、今度は津奈木が寧子に弱さを見せないと始まらないわけで。
では、本当に互いに分かりあえるのかと言えば、他人は他人。自分は自分でしかなく。
その辺りのもどかしさは原作まんまのセリフがうまく表現しているのですが、それはネタバレになるので伏せます。
ところで原作ありきの映画は、どっちを先にするかが問題になります。
昔の角川映画のキャッチコピー、「読んでから見るか見てから読むか」ですが。
僕の感想としては、先に映像を見てから、分からない内面の部分を小説で補足する方が楽しめるように思いました。
映画にもいろいろありますが、僕が好きなのは人生のある一面を切り取ったような作品です。どんでん返し連続のストーリーもいいですけど、何気ない日常が見方によって別のものに見えるような映画が好きです。
この映画を観終わった後は、きっと誰かに優しくできるのではないでしょうか。