恥ずかしい体験

あなたならどうする?

 

それは終電の中で突然起きた。

 

僕は問いたい。

 

こんな時あなたならどうする?と。

 

 

僕はその日、仕事帰りの電車に乗っていた。

 

いつも思う事だけど、僕は座席にドスンと座る人が嫌いだ。

 

どうして周りの人の事を考えないのだろう。

 

特に夜の電車はみんな疲れているのだ。

 

そして、その日も容赦なく隣に女性がドスンと座った。

 

その女性は地球から離れたドスン星からやって来たのだ。

 

元来、僕は寛大な人間である。

 

できるだけ揉め事は起こしたくない。

 

しばらくするとその女性は眠りだし、僕の肩にもたれ始めた。

 

若い女性だからというわけではもちろんないけど、うつらうつらと僕の肩にもたれては、時折ハッとした様子で定位置に戻るという行為を繰り返す。

 

しかし、とうとう本格的に僕の肩に負荷をかけてきた。

 

ジムトレーニングの話ではない。

 

僕は寛大な人間である。

 

僕も時々、誰かの肩に身を預ける時がある。

 

ましてや若い女性だ。

 

受験生の時に先生から習った言葉を思い出す。

 

「我も人なり彼女も人なり」

 

僕は本を読んでいたのだけど、しだいに周りの目が気になり始めた。

 

人は案外重い。

 

存外重い。

 

内心、うわっ僕に体を預けてきたぞと思ったけれど、

 

表現ほど色っぽいものではない。

 

でも、疲れているんだろうなぁと思い直し、忍法ぬりかべの術を発動する事にした。

 

ここで、どういう術かを説明しておこう。

 

これは自分を無機物ととらえ、あなたが寄りかかっているのは人間じゃなくて壁なんですよと相手に錯覚を与え、自分の身体に制限をかけ微動だにしないという、かなり修行を積んだ徳の高い者だけに許された禁断の秘術なのである。

 

それとは逆に、酒臭い親父が寄りかかってくると、生命を感じさせる動きで相手の眠りを妨げるという忍法コンニャクの術もある。

 

僕は丹田に力を入れ、呼吸を整え、精神を術に集中させる。

 

僕は壁だ。

 

僕は壁だ。

 

逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。

 

僕は結構長い時間、体に拘束具をつけて耐えた。

 

幾度か、何に耐えているのだろう?という思いが頭をかすめたが、そのうち起きてくれるだろうと思いながら耐えた。

 

向かいの人の目が気になるけれど、根が小心者の僕は、もちろん直視などできるはずもない。

 

ーと、次の瞬間驚くべき事が起こった。

 

膝が重い。

 

老齢で、ではない。

 

何かが膝に乗った。

 

目線の端でそれを捉える。

 

頭だ。

 

そう、女性の頭が僕の膝に乗っているのだ。

 

幽体離脱をして自分を俯瞰で見てみると、

 

僕は今、公衆の面前で膝枕をしているようだ。

 

アンビリバボー

 

もうこれは絶対に周りを見る事ができない。

 

すでに全く頭に入っていない本を持ちながら、一応ページをめくって読んでいるフリをする。一定のスピードで定期的に反復する単純作業。

 

もうすでにネタは上がっているのだ。

 

そんな行為に意味がない事は周知の事実。

 

こんな事なら最初から眠っていれば良かった。

 

そうすればこんなに恥ずかしい思いをしなくても済むのに。

 

もうあの頃には戻れない。

 

僕は膝の緊張を悟られないように適度な柔らかさを保ちつつも、さらに金縛りの術を強めた。術名変わっとるがな。

 

もうすぐサンタが僕の街にやってくる。

 

もうすぐ僕の降りる駅が近づいてくる。

 

その時、僕はどういう行動を取り、女性はどんな反応を示すのだろう。

 

そんな未来予想図。

 

様々な感情が脳内を巡り、行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし。

 

逡巡。

 

後悔。

 

煩悩。

 

ときめき。

 

トゥナイト。

 

なんでやねん。

 

僕はもうこのまま降りずに時の流れに身をませようと思った。

 

BGMは一定の年齢層に流れる。

 

車内のアナウンスが到着駅を告げる。

 

すると、女性は突然起き上がった。

 

すいませんという一言は無いのかと思いつつ、今だチャンスだとばかりに僕は勢いづけて立ち上がり駅へ降りた。

 

妙な解放感。

 

安堵。

 

そして、膝の痛み。

 

そんな恥ずかしい体験があったのである。

 

しかし、僕にはもう一つ恥ずかしい体験がある。

 

 

それは終電での出来事。

 

これもまた女性の話である。

 

その女性もまた衝撃を与えて腰をおろした。

 

どうやらドスン星は人口が多いらしい。しかも若い女性率とおっさん率が高い。

 

ただ、このドスン女子はちょっといつもとは違った。

 

何かが僕に当たっているのだ。

 

表現ほど色っぽいものではない。

 

何かがじとっと濡れてきた。

 

色っぽいものではない。

 

傘が足に当たっているのだ。

 

お前の足だよ。

 

と書くとホラーみたいだ。

 

もちろん、僕の足です。

 

外は雨。ガンガンに降ってやがる。カイジ口調で。

 

お姉さんはスマホに夢中だ。

 

オネエさんと書くとまた違ったホラー感がある。

 

日本語の表記は面白い。

 

傘から伝わるしずくは僕の足に露草のように微妙に注がれていく。

 

やだなー

 

やだなー

 

稲川淳二の心境。

 

これから僕はこの状態でこの空間を共に過ごすのか。

 

膝枕女子の方がまだましだ。

 

まぁ、我慢しよう。

 

こちとら寛容な人間である。

 

イケメン男子である。

 

煩悩など微塵もない純粋無垢な肉の塊である(こわっ)

 

ところが、そんな煩悩もつかの間、ほんの数分でやおら女性は立ち上がった。

 

ラッキー池田。

 

今日は解放が早い。

 

と思ったのもつかの間。

 

バタン。

 

何かの音がした。

 

えっ?

 

反射的に床を見る。

 

女性モノの傘が落ちていた。

 

花柄のようないかにもな傘がそこにあった。

 

その場にいた何人かの人の視線も注がれている。

 

僕はとっさに拾い上げた。

 

そして、ほんの少しのタイミングのズレで声をかけそびれた。

 

女性は駅に降りた。

 

ここで繰り返すが、この電車は終電である。

 

降りる事はできない。

 

大声を出すのは恥ずかしいというためらいがさらに行動を鈍らせる。

 

ドアは無情にも閉まり、僕は二本の傘を所有することになった。

 

僕の傘と存在のない彼女の傘。

 

超小心者な僕に、周りを見ることなどできるはずもない。

 

すでに好奇の目にさらされている事は分かる。

 

イケメンだから視線がささるのは慣れているはずだけど、すでに場は異様な雰囲気に包まれている。

 

ヘッドホンから流れる音楽で定かではないけど、前のカップルが何かを話しているような気がする。

 

たとえばこんな感じで

 

「あそこの自意識過剰な人、あの傘どうするんだろうねー」

「てか、やおらって何?」

「つーか、普通声かけるだろう?」

「もしかして、あの傘欲しいんじゃないの?きもっ」

 

あー、

 

逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。

 

てか、終電だから逃げ場が無い。

 

もうここは開き直るしかない。

 

でも、まてよー

 

僕はさらに事態の深刻さに気づく。

 

これから、駅に停まる度に人が乗ってくる。

 

僕の降りる駅は結構遠い。

 

とすると、僕はこれからあの人なんで二本も傘を持っているんだろう。しかも女性モノの傘を。

 

という風に思われるのではないだろうか?

 

でもだからと言って、今更その傘を車内に捨てるわけにはいかない。

 

冷静に考えて、いきなり車内に女性モノの傘を置いていく人はかなり変である。

 

車両を移るという手段はあるけれど、それは刹那的な解消法に過ぎず、傘を持っている限りは、根本的な解決には至らないのだ。

 

オーマイガッ!

 

おーまいが巻き起こした惨事だ。

 

石になれと念じ、僕は石像になる事にした。

 

石化の術だ。

 

演習ではない。繰り返す、これは演習ではない。

 

片手には二本の傘。

 

もう片方の手にはスマホ

 

目線は動かさない。

 

前のカップルには特に視線を合わさない。

 

ただ、早く降りろと念じるだけだ。

 

 

電車は駅に着くと停まる。

 

それが電車だ。

 

うらめしい。

 

うらめしい。

 

うらみ念法発動。

 

「こ・の・う・ら・み・は・ら・さ・で・お・く・べ・き・かー」

 

願いが通じたのか、幸いにも乗る人より降りる人の方が多かった。

 

一人っきりの乗客が増えていく。

 

でも、カップルは降りない。

 

持久戦。

 

僕はマインドコントロールを試みる。

 

アナタハ イマ カサヲ ニホン モッテイマス

 

デモ ソノ カサハ ジツハ カノジョヲ アメノナカ ムカエ二イク

タメノモノデス

 

アナタハ カミヲ シンジマスカ?

 

信じますとも!

 

オーマイガッ!

 

おーまいが信ぜずして誰が信じるのか!

 

この恥辱に満ちた空間を己の身を投じて拭いたまえ!

 

その後、長ーい時間を経て、僕は目的地に着き、降りる寸前に車内の網棚に傘を乗せた。カップルがどうしたのかは知る由もない。

 

あなたならどうする?