はずれスライムのつぶやき

どうでもいいことについて適当に考察していきます

オリジナリティ

先日、星野源さんがラジオの放送で、自分の顔がアイコンに使われているツイッターはどう思いますか?という質問に「嫌です」と言ったことがネットで話題になった。

 

そもそもの発端は、ラジオ番組の公式インスタを開設したところ、その画像を転用したファンがいる事について、削除して欲しいと放送で直接お願いしたのだ。

 

その時の源さんはとても言いにくそうに、でもやっぱり本人から直接言った方が伝わると思って、と切り出した。

 

一つにはファン同士の争いが過激化しないようにというのもあったと思う。

 

そして、その放送中に該当のものは削除された。

 

つまりは、やっぱりファンだったのだと思う。

 

源さんも、良かれとしてやってると思うけどとか、何度も言ってごめんねという感じで、聞いていてこちらもちょっと辛くなるような雰囲気がありました。

 

きっとそのファンの方も、大好きな人に取り上げられて、一瞬嬉しくて、でもそれがいい内容ではなくて、源さんも他のファンも傷つけてしまうような、辛さや申し訳なさがあったのではないかと想像する。

 

次の放送では、この件がネットで話題となった事に触れ、「聞いていた人なら分かると思うけど、実際に聞いた内容から離れて変容していく様をリアルに感じられたでしょ?」という源さんの言葉に、やっぱり実際に自分で目にしないと(それでも事実と違っていたとしても)何事も簡単に決めつけてはいけないなと思いました。

 

かくいう僕も拡大しないと分からない程度の源さんの写真をアイコンにしていたので、すぐに変えたのですが、これは放送を聞いていたみなさんも同じだったみたいで、みるみるうちに源さんアイコンが減り、それを見た源さんも嬉しくて泣いたと語っていて、何だかさらにこちらもジーンとしてしまいました。

 

時同じく、DaiGoさんも自身の放送内容をまんま転用しているサイトに対して、法的手段も辞さないようなコメントを出され、心を痛めています。

 

ちょっと前にもSNSで無断で映像などを引用している問題が物議を醸し出しました。

 

そもそもyoutubeなんかは横行しまくりですが、そういう自分もドラマを見ながらツイートする時に、つい共感して欲しいシーンを静止画で切り取ったりしますが、それで生活している人からすれば迷惑な話なのかもしれません。

 

そう考えると、最近はドラマの小物の気遣いとか人物の顔が映らないような加工をしながらつぶやいたり、よりその作品が楽しめるようなツイートをするように心がけますし、またそういうツイートを見ると、よく気づいたなぁスゴイ!本当にこの作品が好きなんだなぁ、といいねしたりします。

 

ただ紹介するだけならいいとは思いますが、誰かが築き上げたものを簡単に転用し、あまつさえそれで利益を上げている人は良くないですね。

 

動画を引用する事もありますが、その辺りは気をつけていこうと思います。

 

 ↓あのライブの思い出が再び

 

 ↓動画の方がさらに内容は濃いです

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ch.nicovideo.jp

dele 〜自分が死んだ後のデジタルデータはどうするのか

リアルタイムの放送では、途中でやめてしまったけど、

 

ふと気になってまとめて見たら、かなり面白かった。

 

依頼人の死後のデジタルデータをdeleteとするお仕事。

 

本当は依頼者の希望通りデータを消去しなければいけないのだけど、様々な事情によってデータの中身を見ることになった山田孝之菅田将暉という異色のコンビが依頼者の死因の真相を探るという流れ。

 

必ずしも事件が解決するわけでもなけば、ハッピーエンドになるわけでもない。

 

しかし、なんだろうこのドラマに漂う昭和探偵物語の独特の雰囲気は。

 

そしてやはりこの二人の俳優の味?

 

よくありそうなパターンなのだけど、目が離せないストーリー展開、見終えた後の苦い気持ち。

 

とにかくいい作品であることは間違いない。

 

劇中でもよく出てくるハッキングのシーンにデジタルデータって簡単に盗まれ、復元されるものだなぁと改めて痛感。

 

いろんなデータを合わせるだけで、アリバイも簡単に見破れてしまう。

 

特にやばいデジタルデータなんて持ってないけど、もし持っていてもこの二人にだけは消去は頼みたくないなぁw

 

 

dele (角川文庫)

dele (角川文庫)

 

 



 

 

プラージュ

 

 

何かの犯罪に巻き込まれた人達が社会に受け入れられずシェアハウスに住む。

 

石田ゆり子さんが経営するアパートは個室にドアが無く、まるで診療室のようだ。

 

ある事で犯罪者のレッテルを貼られた星野源さんは、このシェアハウスの中で自分の社会における立ち位置を考えることになる。住人たちと仲良くにつれ、それぞれの重い話もしだいに明らかになっていく。

 

犯罪者はどうやって生きていくのか。

 

先日、テレビで出所した人を雇っている不動産の社長さんに取材している番組を見た。その人自身は大病におかされていて、結構見ていて辛いものがあったけど、自分のことよりも他人に世話をやくなんてすごいなと思った。

 

ただ、そんな温かい受け入れ先でも、結局辞めていく人が多いそうだ。それくらい社会と(あるいは仲間たちと)うまくやっていくのは難しいという事だろう。

 

劇中でも、ある若者が犯罪者には首輪でもつけとけばいいのになと言うセリフがあったけど、では僕自身は?と言えば、近所にいられては困ると思ってしまう。

 

とは言え、合法すれすれの犯罪者予備軍もいるわけで、あるいはこのドラマのようにふとした事から犯罪者なってしまった人を見ると、そこまで線引きできないような気がしてくる。

 

 こういうテーマは

ktfield.hatenadiary.com

 

に似て、裁かれない犯罪者の方がタチが悪いかもしれない。誰の中にでもあるちょっとした出来心。

 

 ただ、根っからの犯罪者もいるわけで、

ユリゴコロ

ユリゴコロ

 

 

なんかを見ると、ちょっと気分が悪くなるシーンが多くて、いくら犯罪者視点のお涙シーンでも感情移入はできなかった。

 

まぁ、そんな事を考えるだけでも見る価値はあるということかな。

 

プラージュ (幻冬舎文庫)

プラージュ (幻冬舎文庫)

 

 

 

勝手にふるえてろ

 

ちはやふる-上の句-

ちはやふる-上の句-

 
ちはやふる-下の句-

ちはやふる-下の句-

 

 

ちはやふるを見て以来、気になっていた女優さんが松岡茉優さんです。

 

さて、アカデミー優秀主演女優賞で紹介されていたこの作品を見ました。

 

うん、良かったなぁ。

 

単純に面白かった。

 

主人公の女性は学生時代から10年も片思いしている彼を妄想の中で何度もリピート再生して思い続けるというかなりのツワモノです。

 

正直言って、あまりに自己中で被害者意識が強すぎて苦手なタイプですが、画面で見る分にしてはキャラが立ってます。

 

これは

 

ktfield.hatenadiary.com

 

に似た感じですね。

 

このまま生きていけば、

 

 

嫌われ松子の一生 (上) (幻冬舎文庫)

嫌われ松子の一生 (上) (幻冬舎文庫)

 
嫌われ松子の一生 (下) (幻冬舎文庫)

嫌われ松子の一生 (下) (幻冬舎文庫)

 

 

ですね。

 

暗くなりそうな題材なのに、なぜか笑えてしまうコミカルなシーンの連続。あっという間にエンディングでした。

 

こんなに変わった女性でも、妄想しまくった男性の前ではかわいくなるんですねw

 

今後も期待の女優さんです。あと歌手の渡辺大知さんの演技もかなり良かったです。

 

 

勝手にふるえてろ

勝手にふるえてろ

 

 

パーフェクトワールド

 

www.ktv.jp

 

すでに8話。

このドラマは、今までの車椅子の身障者の日常の描き方と違うように思った。

実際、こちらの動画を見ると、同じ障害を持つ人から見てもリアルなようだ。


#74 松坂桃李さんの◯◯がすごい!!当事者が語るドラマ パーフェクトワールドを見るべき4つの理由

 

排泄の問題や筋肉の退化、床ずれのような症状。

ただ座っているというわけではない。

 

言われると確かにそうだろうとは思うけど、今まで意識した事はなかった。

 

そして、身障者への接し方も今まで見たドラマとはちょっと違うように思える。

 

このドラマのキャッチコピーは、

 

いつかこのドラマがただのありふれたラブストーリーになりますように

 

というものだが、見続けていると普通のラブストーリーのように見えてきた。

 

出演者の中には、映画版では健常者として出演し、急性脊髄炎を発症し、ドラマ版でも出演した女優を目指す女性もいます。

www.youtube.com

 

いろいろと考えさせられるいい作品だなと思います。来週も楽しみ。

 

山里亮太という人

御多分にもれずミーハーな僕は、以前から気になってはいたけど読んでいなかったこちらの本を読んでみた。

天才はあきらめた (朝日文庫)

天才はあきらめた (朝日文庫)

 

 

すごいファンというわけではないので、彼や南海キャンディーズのことはあまり知らない。ただ、中居の窓やスッキリの天の声で、そこまで変でもないのに、異常に自分を貶めて笑いを取るこの人を僕はすごく頭がいいな人だなぁと思っていた。

 

あえて自分との共通点を探すと同じ大学で、ずいぶん後輩だと思っていたら、先日の結婚報道で自分が卒業したくらいに入ってきた矢井田瞳と同世代の有名人という事だと知りへぇーと思った。

 

ただ、この後輩という感覚も自分ではあまりピンと来ない。それなりの規模の大学でこれからも卒業生が増えていくわけだから、そりゃ中には有名人も出てくるだろうし、何の交流もないから親近感がわくほどでもない。すごい人もいれば、僕のような人もいる、それだけだ。

 

時々、あたかも自分の所有物のように出身校の後輩を自慢する人を見ると違和感を覚えてしまう。

 

出身校というフィルターをかけるだけでそう思うのなら、同郷というだけで、日本人というだけで、同性というだけで、言わば僕らはみんな地球人であり、同じ人間だ。

 

少なくとも今このブログを目にしているあなたは。

 

もし違うのなら、コンタクトを取ってほしい。きっと僕の人生も一変するに違いない。

 

さて、本の話である。

 

時折、見かけるトークで人を妬む性格というのは何となく知っていたものの、笑いのための誇張かと思っていたら、実際はもっとすごかった。

 

他人から言われて傷ついた言葉をその日のうちにノートに書きつけ、復讐のコメントを書き残していくのだ。

 

本に紹介されているノートは一例に過ぎないから、それはかなりのものだと推察する。

 

しかし、彼がすごいのは、その悔しさをバネにして、見てろよ俺が売れたら仕返ししてやる!という復讐を前へ進む原動力に変えている点にある。自助の精神というべきか。

 

そして、自分の何が面白くなかったのかを徹底的に分析し、猛省して次のチャンスにつなげるのだ。

 

どうすれば面白い人間に見えるかという姑息な演出も含め、全てが計算で成り立っている事を僕は知らなかった。彼が見せる姿をそのまま天才のそれのように見ていたのだ。

 

先日、昨年でデビュー45周年になるさだまさしさんがテレビに出ていて、ドキュメント映画を撮影するために28歳で28億の借金を背負い、ピーク時には2日に一度のライブをして全国を駆け巡り、57歳くらいで完済したと言っていた。

 

そもそもそんな莫大な借金を返せる事自体、凡人には到底無理な話だが、いわゆる天才のさだまさしさんが言った言葉にはもっとびっくりした。

 

人間持ってるものには限りがあり、できない事はできない。音楽をやってる人なら誰でも分かっているだろうけど、下りのエスカレータを逆走して、何とか現状維持しているだけだと。

 

さだまさしさんほどの一流ミュージシャンが、そう言うのである。

 

僕は基本的に歌はメロディからしか覚えられない。少なくとも歌詞の意味まではなかなか考えられず、音にのった日本語のように捉えがちだ。

 

しかし、さだまさしさんの曲は情景が浮かばずにはいられないメッセージ性の高い曲が多い。反面、大変失礼ながら、そこまで歌唱力があるとは思っていなかった。

 

でもある時、小田和正さんの番組であの高音の小田さんの曲をカバーされた時、とんでもない歌唱力である事が分かった。つまり、そう感じさせないくらい、まずドーンとメッセージが押し寄せてくると言いたいのだが。

 

山里さんは天才に憧れる。どうすれば天才になれるのかと必死で模索する。これは僕には分からない感情だ。天才を尊敬はするけれども、自分が天才でない事は分かっているので、なりたいとは思わないしなれるとも思わない。

 

彼は天才の見ている景色を見たいという。それはまるで『キングダム』で王騎が信を自分の馬に乗せ戦場を突っ切り、将軍の景色を見せるような、そんなシーンを思い描いていたに違いない。承認されたいという思いが最終的には今の彼を造り上げ、さらに上にいるとんでもない天才を追いかけ続けるのだろう。彼の目に写る景色はもう随分変わっているはずだ。

 

努力は自信の無さの裏返しで、その不甲斐なさは相方への辛辣な攻撃へと無自覚のうちに変容する。実際、南海キャンディーズになるまでに2人の相方と決裂というべき解散をしている。

 

そしてついにM1グランプリに出場を果たす。M1はフィギュアスケートに似ているのかもしれない。演者が順番に出て技を披露する。もっとも笑いは滑るわけにはいかないが、舞台前の控えの緊張感は、想像以上に異様な空間だろう。このたとえも滑っているが。

 

2004年の準優勝で世間に強烈なインパクトを与えた南海キャンディーズは一躍トップスターの仲間入りを果たすものの、突然の環境の変化についていけない山里さんはまたしても相方への卑劣な行為に拍車をかける。どんどん売れていくしずちゃんを妬み、2人の仲は悪化を一途をたどる。

 

読み進むにつれ、しずちゃんの器の大きさがよく分かる。そしていつも相方に恵まれている事を彼は後で気づいて後悔するのだ。ただ今回は違った。

 

ご存知の通り解散はしていない。その理由は以前「しくじり先生」でも語られていたが、簡単に言えば、彼は変わったのだ。

 

結婚報道を見ると、感謝の言葉がとめどもなくあふれ、ラジオでは自分の笑いが変わってしまうかもしれないという恐怖も吐露し、リスナーの温かいメールに涙で言葉を詰まらせ、また新たな一面を垣間見た。

 

天才というのが何を指すのかは分からない。

 

森博嗣さんが言っていた事を思い出す。

 

才能が無いと諦める人は時間をかけていない。時間をかけてもできない作業もあると思うが、才人の30倍くらいの時間をかけて絶対に無理なのかを判断してもいいのではないかと。

 

確かに天才は努力する。自分の持ってる才能をいち早く自覚し、磨き続ける。

 

努力をしない天才というのは妄想ではないかと思う。そして、努力をし続ける人が天才と呼ばれる姿になる事は人々を魅了する。

 

努力を惜しまない山里さんは、これからもますます面白くなっていくのではないだろうか。弱い人間ほど強いのだと僕は思う。

 

 ↓似た者同士が繰り出す笑い

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 ↓天才と努力の天才の話と言えばこれ。ガラスの仮面もいいけどね。

 

今日の電車

4両目

 

今日も私は電車に乗る。

 

そして他人の行動に違和感を覚える。

 

メイクタイムが始まっているのだ。

 

時々見かけるその女性は動画でメイク術でもアップしているのか、卓越した技術を披露する。

 

乗る時と降りる時では別人なのだ。

 

ビフォーアフターの違いが甚だしい。

 

本人はもっぱら鏡の中のアクトレスに夢中なので、チラ見していると、もうそれは美容クリニック顔負けの整形手術なのである。カラコン、つけまつ毛。涙袋さえ見事にペン先一つで形成してしまう。陰影のつけ方も含め、ほとんどトリックアートの域だ。「凡人は模倣し、天才は盗む」と言ったのはピカソだが、彼女はあらゆるメイク術を試行錯誤し、習得したに違いない。

 

顔というキャンバスに思いのままに描かれる美女の数々。モナリザの微笑み、観音菩薩の品格。

 

ある時は小料理屋の女将、ある時はギャル風、ある時は薄化粧ではないはずなのにナチュラルメイク。

もしかしたら彼女は本当に女優なのかもしれない。

 

「女は秘密を着飾って美しくなるのよ」と言いつつ、メイクして化けるベルモットに似たものを感じる。

 

きっと大きめのバッグにはありとあらゆるメイク道具が揃っているに違いない。

 

さすがにウイッグまで取り出した日には本気でスパイかと疑った。

 

それを公開する度胸もすごいものだ。

 

そこへ行くと男性は不利である。

 

髪型でごまかすくらいがせいぜいだ。

 

生まれつきのイケメンはイケメンであり、雰囲気イケメンは苦労の末だと言える。極端な話、髪型が残念でも顔立ちが良ければ加点される。しかしその逆には限界があるのだ。コンボは無い。ただただ滑るだけだ。

 

女性のメイク動画はものすごい人気だが、男性のヘアアレンジ動画はそうでもない。コメントも女性の方が圧倒的に多いので、結局イケメン目当ての再生数なのだろう。

 

つまり、土台の違いはどうしようもないという事をごまかしようのない男性は中身で挽回するのか。

 

たまに虫除けレベルの臭気を放つ香水レディに出会うこともある。人工加齢臭と言い換えてもいい。

こういう人はきっと鼻が麻痺しているのだろう。

 

深夜の電車で居酒屋臭とパフュームのケミストリーが繰り広げられているとなかなかのものである。これが歌番組ならなかなか豪華なゲストだが。

 

一方で、おじさんならではの整髪剤や香水というのもある。それを嗅ぐとより存在が強調されるような匂いだ。臭い消しが匂いではなく臭いを上乗せしてしまうような。

 

まぁ、かと言っていい香りがするおじさんもちょっと嫌だろうが。せめて翌日はその汚スーツで出勤して欲しくないものだ。おじさんばかり批判するのも公平ではない。私もおじさんなのだから若い人の事にも触れよう。

 

私は基本的に席が空いているなら隅っこを選ぶ。

 

理由の一つは誰かが隣に座っても、一番端に座ればそれ以上詰める必要がなくなるからだ。

 

もし真ん中辺りに座ると両端の陣取りゲームが気になっていらぬ神経を使う事になる。仮に全部の席が埋まって位置が確定されても、次に同志が入れ替わり新規メンバーが来れば、体型や人数によって麻雀牌を整理するかのごとくスライドゲームが始まる。

 

ただ、隅に座るからと言って安心できないのがカバン攻撃である。

 

私は席が埋まっているとドア際に立ちたくなる方だが、一つ気をつけているのがこれである。

 

特に学生に多いのだが、とんでもなく大きなカバンを肩に下げたままドア際に立たれると、そのカバンが端に座っている私の顔の付近をゆらゆらするので気になって仕方がない。

 

もしも顔に当たれば(もちろん嫌だが)相手も気づくのだろうが、寸止めの除夜の鐘である限りはなかなか分かってもらえない。当たる前にとがめても無意味だろう。

 

また肉弾戦もある。端の席にあるガードに全身を委ね、そのガードからはみだすスライム肉がじわじわと私の肌に触れる。気づいて離れる人もいるが、中には私を何かのクッションのように認識するのかそのままぐいぐいと侵食してくる人さえいる。

 

逃げ場が無い。

 

これは何の罰ゲームだろうか。

 

満員電車なら我慢もできるが、そういう人はいつもそうしているのか特に気にもとめない。

 

だから私は少食を心がけ、痩身でなるべく小さなカバンを持つようにしているのだ。

 

もちろんリュックなどもってのほかである。

 

時々、私は配慮してますよとばかりにリュックをカンガルー抱っこしている人がいるが、座席の前でつり革につかまっているのならともかく、満員電車で亀のこうらがメタボに変わったところで空間の問題は変わらない。質量保存の法則を知らないのか。

 

あと、降りる間際になってドア付近でスマホを触る人も理解できない。

 

今まさにみんなが同じ出口に殺到しているその時に、せき止め作業を始めるのはなぜか。後ろで並んでいる私にはつまらないゲーム画面しか見えない。あなたは今おじゃまパネルになっているのに、消せないもどかしさ。

 

もし消せるのなら私は課金してしまうかもしれない。

 

こうして今日も私の中のパズルは解けないままに終わる。