プラージュ
何かの犯罪に巻き込まれた人達が社会に受け入れられずシェアハウスに住む。
石田ゆり子さんが経営するアパートは個室にドアが無く、まるで診療室のようだ。
ある事で犯罪者のレッテルを貼られた星野源さんは、このシェアハウスの中で自分の社会における立ち位置を考えることになる。住人たちと仲良くにつれ、それぞれの重い話もしだいに明らかになっていく。
犯罪者はどうやって生きていくのか。
先日、テレビで出所した人を雇っている不動産の社長さんに取材している番組を見た。その人自身は大病におかされていて、結構見ていて辛いものがあったけど、自分のことよりも他人に世話をやくなんてすごいなと思った。
ただ、そんな温かい受け入れ先でも、結局辞めていく人が多いそうだ。それくらい社会と(あるいは仲間たちと)うまくやっていくのは難しいという事だろう。
劇中でも、ある若者が犯罪者には首輪でもつけとけばいいのになと言うセリフがあったけど、では僕自身は?と言えば、近所にいられては困ると思ってしまう。
とは言え、合法すれすれの犯罪者予備軍もいるわけで、あるいはこのドラマのようにふとした事から犯罪者なってしまった人を見ると、そこまで線引きできないような気がしてくる。
こういうテーマは
に似て、裁かれない犯罪者の方がタチが悪いかもしれない。誰の中にでもあるちょっとした出来心。
ただ、根っからの犯罪者もいるわけで、
なんかを見ると、ちょっと気分が悪くなるシーンが多くて、いくら犯罪者視点のお涙シーンでも感情移入はできなかった。
まぁ、そんな事を考えるだけでも見る価値はあるということかな。