はずれスライムのつぶやき

どうでもいいことについて適当に考察していきます

山里亮太という人

御多分にもれずミーハーな僕は、以前から気になってはいたけど読んでいなかったこちらの本を読んでみた。

天才はあきらめた (朝日文庫)

天才はあきらめた (朝日文庫)

 

 

すごいファンというわけではないので、彼や南海キャンディーズのことはあまり知らない。ただ、中居の窓やスッキリの天の声で、そこまで変でもないのに、異常に自分を貶めて笑いを取るこの人を僕はすごく頭がいいな人だなぁと思っていた。

 

あえて自分との共通点を探すと同じ大学で、ずいぶん後輩だと思っていたら、先日の結婚報道で自分が卒業したくらいに入ってきた矢井田瞳と同世代の有名人という事だと知りへぇーと思った。

 

ただ、この後輩という感覚も自分ではあまりピンと来ない。それなりの規模の大学でこれからも卒業生が増えていくわけだから、そりゃ中には有名人も出てくるだろうし、何の交流もないから親近感がわくほどでもない。すごい人もいれば、僕のような人もいる、それだけだ。

 

時々、あたかも自分の所有物のように出身校の後輩を自慢する人を見ると違和感を覚えてしまう。

 

出身校というフィルターをかけるだけでそう思うのなら、同郷というだけで、日本人というだけで、同性というだけで、言わば僕らはみんな地球人であり、同じ人間だ。

 

少なくとも今このブログを目にしているあなたは。

 

もし違うのなら、コンタクトを取ってほしい。きっと僕の人生も一変するに違いない。

 

さて、本の話である。

 

時折、見かけるトークで人を妬む性格というのは何となく知っていたものの、笑いのための誇張かと思っていたら、実際はもっとすごかった。

 

他人から言われて傷ついた言葉をその日のうちにノートに書きつけ、復讐のコメントを書き残していくのだ。

 

本に紹介されているノートは一例に過ぎないから、それはかなりのものだと推察する。

 

しかし、彼がすごいのは、その悔しさをバネにして、見てろよ俺が売れたら仕返ししてやる!という復讐を前へ進む原動力に変えている点にある。自助の精神というべきか。

 

そして、自分の何が面白くなかったのかを徹底的に分析し、猛省して次のチャンスにつなげるのだ。

 

どうすれば面白い人間に見えるかという姑息な演出も含め、全てが計算で成り立っている事を僕は知らなかった。彼が見せる姿をそのまま天才のそれのように見ていたのだ。

 

先日、昨年でデビュー45周年になるさだまさしさんがテレビに出ていて、ドキュメント映画を撮影するために28歳で28億の借金を背負い、ピーク時には2日に一度のライブをして全国を駆け巡り、57歳くらいで完済したと言っていた。

 

そもそもそんな莫大な借金を返せる事自体、凡人には到底無理な話だが、いわゆる天才のさだまさしさんが言った言葉にはもっとびっくりした。

 

人間持ってるものには限りがあり、できない事はできない。音楽をやってる人なら誰でも分かっているだろうけど、下りのエスカレータを逆走して、何とか現状維持しているだけだと。

 

さだまさしさんほどの一流ミュージシャンが、そう言うのである。

 

僕は基本的に歌はメロディからしか覚えられない。少なくとも歌詞の意味まではなかなか考えられず、音にのった日本語のように捉えがちだ。

 

しかし、さだまさしさんの曲は情景が浮かばずにはいられないメッセージ性の高い曲が多い。反面、大変失礼ながら、そこまで歌唱力があるとは思っていなかった。

 

でもある時、小田和正さんの番組であの高音の小田さんの曲をカバーされた時、とんでもない歌唱力である事が分かった。つまり、そう感じさせないくらい、まずドーンとメッセージが押し寄せてくると言いたいのだが。

 

山里さんは天才に憧れる。どうすれば天才になれるのかと必死で模索する。これは僕には分からない感情だ。天才を尊敬はするけれども、自分が天才でない事は分かっているので、なりたいとは思わないしなれるとも思わない。

 

彼は天才の見ている景色を見たいという。それはまるで『キングダム』で王騎が信を自分の馬に乗せ戦場を突っ切り、将軍の景色を見せるような、そんなシーンを思い描いていたに違いない。承認されたいという思いが最終的には今の彼を造り上げ、さらに上にいるとんでもない天才を追いかけ続けるのだろう。彼の目に写る景色はもう随分変わっているはずだ。

 

努力は自信の無さの裏返しで、その不甲斐なさは相方への辛辣な攻撃へと無自覚のうちに変容する。実際、南海キャンディーズになるまでに2人の相方と決裂というべき解散をしている。

 

そしてついにM1グランプリに出場を果たす。M1はフィギュアスケートに似ているのかもしれない。演者が順番に出て技を披露する。もっとも笑いは滑るわけにはいかないが、舞台前の控えの緊張感は、想像以上に異様な空間だろう。このたとえも滑っているが。

 

2004年の準優勝で世間に強烈なインパクトを与えた南海キャンディーズは一躍トップスターの仲間入りを果たすものの、突然の環境の変化についていけない山里さんはまたしても相方への卑劣な行為に拍車をかける。どんどん売れていくしずちゃんを妬み、2人の仲は悪化を一途をたどる。

 

読み進むにつれ、しずちゃんの器の大きさがよく分かる。そしていつも相方に恵まれている事を彼は後で気づいて後悔するのだ。ただ今回は違った。

 

ご存知の通り解散はしていない。その理由は以前「しくじり先生」でも語られていたが、簡単に言えば、彼は変わったのだ。

 

結婚報道を見ると、感謝の言葉がとめどもなくあふれ、ラジオでは自分の笑いが変わってしまうかもしれないという恐怖も吐露し、リスナーの温かいメールに涙で言葉を詰まらせ、また新たな一面を垣間見た。

 

天才というのが何を指すのかは分からない。

 

森博嗣さんが言っていた事を思い出す。

 

才能が無いと諦める人は時間をかけていない。時間をかけてもできない作業もあると思うが、才人の30倍くらいの時間をかけて絶対に無理なのかを判断してもいいのではないかと。

 

確かに天才は努力する。自分の持ってる才能をいち早く自覚し、磨き続ける。

 

努力をしない天才というのは妄想ではないかと思う。そして、努力をし続ける人が天才と呼ばれる姿になる事は人々を魅了する。

 

努力を惜しまない山里さんは、これからもますます面白くなっていくのではないだろうか。弱い人間ほど強いのだと僕は思う。

 

 ↓似た者同士が繰り出す笑い

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 ↓天才と努力の天才の話と言えばこれ。ガラスの仮面もいいけどね。