はずれスライムのつぶやき

どうでもいいことについて適当に考察していきます

ダーケストダンジョン〜ランダム要素満載のハクスラダンジョン

発売日にニンテンドースイッチ版を買ったものの、操作が面倒臭すぎて放置してたよゲームシリーズ。

 

でも、慣れてきたらなかなかやめられなくてブログを書く時間を奪われてますよシリーズ。

 

その名も「ダーケストダンジョン」。

 

詳しくは人気実況ゲーマーのこちらの動画を見れば分かるのですが、かなり慣れている人の動画なのでスムーズに進み、これは面白そうと買ってしまうと積みゲーになる率はかなり高いです。

 

 


#1【RPG】弟者の「ダーケストダンジョン(先行プレイ)」【2BRO.】

darkestdungeon.jp

 

どちらかと言うと、慣れてから見るとより楽しさが分かる種類のゲームです。

 

海外ではすでに150万本以上売れているというゲームですが、どこが面白いのかを僕なりに紹介したいと思います。

 

ちなみにスイッチ版ではなぜかキャラクターの名前がアルファベットしか使えないため、PS4版も買ってしまうくらいハマっていますが、両方を合わせて20時間ほどで、まだまだ序盤という恐ろしいくらいゆっくりしか進まないゲームです。

 

このゲームは一言で言えば、ランダム要素が満載すぎます!

 

そもそもダンジョンゲームの代表格と言えば、

 

ウィザードリィ

ウィザードリィ

 

 

ですが、このファミコン版がある意味一般的に普及させたアレンジ作品です。

 

もちろん、元はパソコン版で、今から見るとワイヤーフレームで構成された3Dダンジョンを進みながら、ほとんど文字だけで表現されたバトルやキャラクターで冒険し、宝箱から武器や防具を獲得し、クリアー後もひたすら伝説のアイテムを乱数値で引き当てる妄想やり込みゲームなわけです。

 


Wizardry #1(AppleII Ver.) GamePlay part1

 

その後、数々の模倣ゲームが現在に至るまで(というかむしろ最近やたらとダンジョンゲームが出ている)発売され、ついには、

 

 

というマイナージャンルと思われるこのダンジョンゲーをネタにした漫画まではやるという、市民権を得るまでになっています。

 

では、このダーケストダンジョンはそういうダンジョンゲームとどういう部分が違うのかと言えば、

 

はっきり言って目新しさはありません。

 

ダンジョンが入る度に自動生成されるのはローグライクで、すでにこのジャンルでは、

 

 

不思議のダンジョン2 風来のシレン

不思議のダンジョン2 風来のシレン

 

 

 

トルネコの大冒険~不思議のダンジョン~

トルネコの大冒険~不思議のダンジョン~

 

 

シレントルネコシリーズである意味完成を見ていますし、それこそありとあらゆる模倣作品が増産されています。

 

絵柄がダークアメコミ調なのは個人的にかなりポイントが高いですが、逆に萌え要素が好きな人ならいくらでもそれ系のダンジョンゲームがあります。

 

 

神獄塔 メアリスケルター2  - PS4

神獄塔 メアリスケルター2 - PS4

 

 

また破天荒なストーリーで操作も良好、禁断の壁壊しまでできて、やりこみゲーが得意な日本一ソフトウェア

 

 

 

 

は、評価も高く、ついにスィッチ版も発売されました。

 

それと比べると、ダーケストダンジョンはストーリーらしいものもあまりなく、操作も複雑。

 

たとえば、ダンジョンへ挑むパーティを選択するには、ZRを押しながら左スティックで上下を選び、決定ボタンという慣れてないと指がつりそうな操作を要求されます。

 

しかもPS4版だと洋ゲーにありがちな決定ボタンが✖️ボタン。キャンセルが◯ボタンという日本のゲームとは逆仕様。キーコンフィグできないのはなぜなのか、これは洋ゲー移植作品につきまとう永遠の謎。ちなみにスイッチ版は日本仕様です。

 

元がパソコンゲームで、マウスで遊ぶゲームとは言え、このストレスは尋常ではなく、スイッチ版やVITA版はタッチパネルが使える分、直感的にキャラをパーティ枠内にドラッグ&ドロップできるのでやりやすいのですが、

 

画面内の情報量が多すぎて文字が非常に読みづらい。スイッチより一回り小さいVITAはもはや視力検査1.5レベルのサイズ感でまともに読めません。

 

スイッチをテレビにつないだり、PS4で大画面でやると絵柄の味わいもあって快適なのですが、そうすると先ほどの複雑な操作がたくさんあり、慣れるまでは何ボタンと何ボタンの組み合わせでできるのか、まるで格闘ゲームのコンボ状態になるため、ストレスからやめたくなります。

 

さらに、このゲームの最大の特徴と言えるゲーム内のストレス要素が非常に面倒。

 

つまり、現実の操作ストレスとキャラが持つストレス管理という二重苦。

 

ストレスフルダンジョンと命名した方がいいのではないかという程、ストレスの連続なのです。

 

しかし、苦しい試練ほど超えた時の喜びは大きいわけで、このマゾゲー感がやり込み要素につながるわけです。

 

具体的に言えば、キャラクターはダンジョンを歩くだけでもストレス値を貯めていきます。

 

そして、それが一定値になると発狂して、悪癖がつきます。

 

たとえば、盗難癖がつくと宝箱を勝手に開けてネコババしますw

 

いろんな職業のキャラの中には、体力回復役のヒーラーやストレス値を減らす能力を持つ者もいます。

 

しかし、これらのキャラにはいろんな癖があり、またストレス値も簡単に減らせないため、大幅にストレス値を減らすためには長く放置するか、施設に預けてお金を払うしかなく、連続してダンジョンに潜る事はできません。

 

従来のダンジョンゲームですと、気に入ったキャラを強化しまくってエリート集団で潜りまくってお宝を持ち帰るというループになりますが、

 

このゲームでは、一定周期でそれができるとは言うものの、交代でパーティを作りつつ、各キャラのストレスや悪癖を管理しなければいけません。

 

悪癖を治療する施設ももちろんありますが、各施設はよくあるパターンでダンジョンから持ち帰ったお金やアイテムを元に少しずつ拡大していく事になります。

 

なので、交代でパーティをダンジョンに潜らせて、バトルに一喜一鬱しながら、薄紙を貼り合わせるようにちょっとずつ進めていかなければいけません。

 

しかも、キャラは一度死ぬと基本的に生き返りません。

 

たとえ、どんなに育成したエリートキャラでも死んだら終わりです。この辺りはウィザードリィの仕様ですが、序盤は全く同じ攻略法で、

 

とにかく、キャラに愛着を持たずにひたすらダンジョンに送り込み、帰還したら闇に葬る(解雇する)という人身御供戦術を取らないと、次々に死んでいくキャラへの後悔から、現実生活にも鬱を及ぼすかもしれませんw

 

ただ、慣れてくると自分の好きなキャラに名前をつけ、様々な効果を持つアクセサリーを身につけ、武器や防具、スキルを強化し育成し、自分だけの精鋭部隊でダンジョンに挑む楽しさが味わえます。

 

オートセーブでリセットの効かない死と隣り合わせのバトルに勝利した時の爽快感はひとしお。

 

そして、そのキャラが死んだ時の喪失感の後、新たなキャラ育成を始めて生まれる復讐心から、エンドレスプレイが始まるわけです。

 

こうなるとあんなに複雑だと思えた操作(なんでスイッチ版がダンジョンに入るのにRスティック押し込みなのかーPS4版はタッチボタンでまだマシ)を無意識に行い、一人一人のスキルや癖を情報画面で一つずつ確認し、場合によっては治療して除去しながら、まだ見ぬお宝を求めてダンジョン攻略をループする事になります。

 

仮に、クリアしたとしても難易度を変えてよりマゾプレイしたくなるに違いありません。

 

実際、この中毒性はなかなかのもので、もう無理と思ってやめてから数時間経つと、他のキャラを育成し、別のダンジョンに潜ればいけるかもという気持ちになり、再開したくなります。

 

もしこれが日本のゲームで操作性が良くて、ストレス値のないただの育成ダンジョンゲームだったら、それはそれで楽しいと思うのですが、それならすでに

 

世界樹の迷宮X (クロス) - 3DS

世界樹の迷宮X (クロス) - 3DS

 

 

世界樹シリーズもあるわけですし、名作も数々あるわけで、洋ゲーゆえに許される魅力があります。

 

ちなみに特典としてサウンドトラックがもらえるのですが、聞いていると鬱BGMの世界観なのに不思議と癒されるので、ブログ作成時のBGMにしたりしてます。

 

やればやる程、意外によく作り込まれているなと思う部分も多く、飽きても誰かの実況動画を見ると攻略法をまねてみたくなる楽しさと奥深さがあります。

 

ここまで読んでちょっとやってみようかなという人にアドバイスするなら、

 

やめなさいwww

 

でも、やり込みゲームを探していて、ダンジョンゲームが好きな人なら、耐性もあると思うのでおすすめです。

 

パソコンがあるなら、マウスゲーでもあるし、ならではのMODもあるので、そちらがおすすめ。バニラでもいいならコンシューマ機をどうぞ。キャラに日本語を使いたいならPS4版がおすすめですね。ぜひテレビの大画面でどっぷりダンジョンに潜ってください。

 

そんなあなたは僕と同じ変人ですw

 

 

 

江ノ島プリズムからの恋仲

無料で見れたので見ましたシリーズ。 

江ノ島プリズム

江ノ島プリズム

 

 

今ならGyoで11月4日まで無料で見られます。

 

何で見たくなったのかと言えば、

 

恋仲 DVD-BOX

恋仲 DVD-BOX

 

 

と全くキャスト三人が一緒。時系列的には、江ノ島プリズムの方が先なのですが、その存在を知らなかったので、続編的に見てしまった。

 

という事は、月9を見ていた人にとっては、恋仲こそ続編のような気持ちで見ていたのかもしれませんね。

 

設定は、高校生の幼なじみ三人組が、淡い青春を送る話。

 

タッチです。

 

でも、カッちゃんならぬ野村周平がいきなり亡くなった設定から始まる。

 

ある日、蒼汰は周平の自転車を借りる。

 

しかし、そのせいで周平は、旅立つ本田翼に別れを告げるため、全力疾走で駅に走ることになり、それが死因になったと蒼汰は考える。

 

翼ちゃんに頼まれて自分が手渡した手紙を読んで追いかけた周平。

 

あの時、ああしていたら何かが変わったかもしれないという後悔。

 

ところが、蒼汰は周平の部屋でとんでもない秘密道具を見つける。

 

タイムウォッチ〜

 

めちゃめちゃチャちぃ、学習雑誌の付録についているような腕時計を半ば冗談混じりにつけて、江ノ電に乗り、トンネルを超えるとー

 

そこは雪国ではなく、なんと周平が亡くなる前日であった。

 

はい、

 

そうです、

 

イムループものです。

 

時をかける少年です。

 

うん、ありがち。

 

いきなり親友に会ったら、普通感動の涙とかにならないかと思いきや、わりとすんなり学生時代の自分に溶け込む。この時、もう一人の自分はどうなってるのかとか思ったりもするが、そういう描写は無い。

 

で、何かの衝撃を受けると元の時代に戻ってしまう。

 

何とかして周平を助けたいとまたあの日に戻り、試行錯誤を試みる蒼汰。

 

その度に二人に会うわけですが、感慨よりもとにかく作戦実行。

 

ひたすら実行あるのみ。

 

また失敗。

 

でも次こそ。

 

どんどん薄っぺらいコミカル作品になっていく。

 

途中でトイレの花子さんならぬ今日子ちゃんも出てきて、タイムループのルール設定も図書館の本の内容一択で決定されてしまう。

 

だんだんどうでもよくなってきて、単純に設定が珍しい月9ドラマ(プロポーズ大作戦に同じ)を見ている気分。

 

いや、そもそもそのつもりで見ているんだけど。

 

で、そういうのを乗り越えると(笑)、それなりにいいんです。

 

いいんかい!

 

僕は、わりとどんな作品でもいいシーンがあればそれで見れる方なので、この作品も実は、最後がなかなかいいんです。

 

観ている人は知っているけど、スクリーンの向こうのキャストは知らない的な設定。

 

だからタイムリープの設定なのですね、という感じ。

 

自分の人生を取るか、友達を助けるか。

 

そして、手紙の内容は。

 

この切なさを感じつつ、恋仲を見るとなかなか良かったでしょうね。

 

というか、このキャストでドラマを発案してね?と結構な人が思ったのでは。気になる手紙や展開も似通っていて狙ってる感があります。

 

花火のシーンも良かったですが、学生の資金を無視してます。恋仲の花火のシーンも良かったですね。

 

君がくれた夏

 

家入レオのあの曲がループします。

 

まぁ、いいじゃないですか、現実的すぎる作品の対極という事で。

 

どの立場?

 

単体ならちょっと薄味ですが。

 

ところで、いつもいろんな作品で見るたびに思うけど、湘南の海が見える坂道と江ノ電が素敵ですね。関西は離れたくないけど、あの街は住んでみたいです。

辞典って本当に面白い

ついつい読みこんでしまう辞典紹介シリーズ。

 

今回は、

 

小学館 オックスフォード 英語コロケーション辞典

小学館 オックスフォード 英語コロケーション辞典

 

 

この辞典は、言葉のつながりが学べるもので、

 

試しにsmileをひくと、「ー(に)笑う、ほほえむ」

 

broadly にこやかに

widely おおいに

slightly かすかに

thinly うっすら

brightly 明るく

charmingly 魅力的に

 

といった具合に40種類以上の表現が載っています。

 

似たような日本語の辞典だと、

 

てにをは辞典

てにをは辞典

 

 

ですが。こちらで「笑う」につながる表現をひくと、

 

思わせぶりに

快活に

気楽に

転がらんばかりに

自嘲ぎみに

質朴に

上機嫌に

しょうことなしに

冗談半分に

神経質に

素朴に

だしぬけに

天真爛漫に

投げやりに

卑屈に

ヒステリックに

無遠慮に

不器用に

傍若無人

誇らかに

無造作に

露骨に

意味ありげに

こともなげに

涼しげに

大義そうに

卑しく

からからと

屈託無く

心ゆくまで

他愛なく

だらしなく

はにかんで

ふてぶてしく

人なつこく

悪びれもなく

涙が出るほど

声をたてずに

目を細めて

頬をそめて

鼻をならして

 

どこかで目にした事はあるけど、なかなか日常で使わないような表現だけを拾ってもこんなに載っていて、しかもこれはほんの一部に過ぎない。

 

辞典編集者の言葉に対する意識の差かもしれないが、おそらく日本人にとっての笑いに対する意識の差と言えるのかもしれず、実に興味深い。

 

もちろん、日本語が英語より優れていると言いたいのではなく、ある言葉においてはどこかの国の言語表現が多いというのは、文化の違いであり、僕はそういうものに興味があるのだ。

 

でも、経済的にも時間的にも制約された中で外国に行く事は難しいし、また瞬間移動が可能だとしても会話する時間にも制限はある。

 

そこで、辞典というものから言葉の奥にあるものを感じとる時間が僕にとっては楽しい時の過ごし方になるのだ。

 

もちろん、英語の「笑う」には、smileの他にも

 

laugh  grin giggle chuckle という単語自体に程度の差が内包されているものもあるのだが、

 

久々に改訂された広辞苑

 

広辞苑 第七版(普通版)

広辞苑 第七版(普通版)

 

 「笑う」を引くと、「口を大きく開けて喜びの声をたてる。おかしがって声をたてる」とあり、

 

【DVD-ROM付】オックスフォード現代英英辞典 第9版

【DVD-ROM付】オックスフォード現代英英辞典 第9版

 

 

で、smileを引くと、動詞の説明にはsmileが含まれていて説明になっていないので(逆に広辞苑で「笑い」を引くと「笑うこと」となっていて笑えるが)、その前提となっている名詞の方の説明を引用すると、

 

the expression that you have on your face when you are happy,amused,etc.in which the corners of your mouth turn upwards

 

というように随分と説明の仕方に差があり面白い。個人的には、英英辞典の方が表情の動きを説明していて、より分かりやすいと思う。

 

さらに試しにsmileを

 

リーダーズ英和辞典 <第3版> [並装]

リーダーズ英和辞典 <第3版> [並装]

 

 

で引くと、まぁ予想通り「微笑する」「微笑む」「にっこりする」という訳が現れる。

 

 見やすくて、視覚的に分かりやすい僕のお気に入りの

ルミナス英和辞典 第2版 (函入り)

ルミナス英和辞典 第2版 (函入り)

 

 

で、引いてもやはり同じ。ただ、こちらの辞典でもしかしてと思ってlaughという単語を調べてみると、漫画のような絵で先ほどの他表現の笑いが説明されていたりして面白い。

 

辞典には表情がある。

 

ただ意味を知ればいいだけなら、どんな辞典や辞書でもいいと思う。

 

実際、全ての単語をいちいちこんな風に引き遊ぶ事は無理な話だ。

 

特に情報だけを伝える文章なら意味さえ分かればそれでいいだろう。

 

でも、たまには脇道をゆっくりと散策するような時間があってもいい。

 

そこには言葉の持つ広がりから、自分にとって一生心に残るような出会いがあるかもしれない。

 

素敵な調べに、その言葉を考えた人とつながるような不思議な体験を僕は大切にしたいと思う。時に言葉の持つ力は強く、そしてはかない。

 

全く読めなかった英語が読めた時〜青天の霹靂

今でもスラスラ読めるとは言いがたいけれど、辞書があればそれなりに英語が読めるというのは、全く読めなかった過去の自分を思い出すと嬉しい経験だ。

 

全く読めなかった頃の高校生の僕がどんな感じで読んでいたかを語る時に思い出すのは、department store という単語を訳した時だ。

 

その日はいつもの英語の担任が休みで教頭先生が代理で授業をしていた。だから余計に覚えているのだけど、確か訳さなければいけない当番みたいなのがあって、珍しく予習をしなければならなかった。

 

「珍しく」というのは、僕の通っていた高校は進学校ではないので、当番でない限り予習さえしないのが当たり前だったという意味である。

 

なので、僕は久しぶりに(笑)英語の辞書というものを引いた。

 

今はもし気になる単語があれば、それなりに分厚い英語の辞書が2冊はあるし、和英や英英、コーロケーション、他にも電子辞書、そしてもちろんネットで調べることもできる環境があるので、ずいぶん言葉に対する探究心も変わったものだけど、その頃の辞書はもっと簡易の辞書で、確か中学生の教科書に載っている単語を強調したような簡易の物だったと思う。

 

その辞書でほとんどの単語を片っ端から調べた。

 

といっても、国語辞書ならまだしも、英語の辞書なんてほとんど引いたこともないので、ズラズラと羅列された単語にめまいを覚えながら、なんだか分からないけど、とにかく単語の訳に載っている一番目の意味だけをノートにひたすら書き写してみた。

 

その時は、何で一つの単語の訳にいくつか載っているものがあるかに疑問すら抱かなかった。

 

つまり、品詞という概念がなかったのだ。

 

だからdepartment は「部門」で、store は「店」だ。

 

あとは日本語で考えて訳をこねくり回す。

 

といっても、ほとんどいじりようがない。

 

「部門の店」だ。あるいは「店の部門」だ。

 

何の事か分からないけれど、もちろんそのまま訳した。どっちにしたかは忘れたが。

 

ここで今、苦笑した人は、教室でも爆笑が起きたと思うだろう。

 

しかし、なめてはいけない。

 

うちのクラスでそれを笑う人はもしいたとしても一人か二人である。

 

当時は40人くらいの教室だから、いかに勉強しないかが分かって頂けると思う。

 

実際、この時笑ったのは教頭先生だけだった。

 

「君は真面目な生徒だね。これはデパートのことだよ」と。

 

そう言われて、ああそうかくらいにしか思わなかった学力である。

 

今なら、なんと恥ずかしい事だろうと思えるけれど、

 

その恥ずかしさは日本語でも通じるデパートと英単語の意味が結びついたからであって、これがもっと難しい単語、例えばthenarditeが「芒硝石」と辞書で調べて知った時の感覚と一緒にしてはいけない。そもそも日本語でもどういう石の事か分からない。

 

つまり、雑学レベルの知識不足と先ほどの話は根本的に違う。

 

英語が読める。分からない単語は正しい品詞で調べることができる。そして、辞書で単語を調べる際に視野が広い人だから笑えることであり、あの頃の僕はただ単にさっさと和訳作業を終えたくて、上から目についた訳語を機械的に書きつけていっただけなのだ。

 

決して、律儀に一語ずつ真摯な態度で逐語訳した結果ではない。

 

もしも、departmentの訳語がもっとたくさんあったとしても、僕はただその一番目を機械的に選択しただけであり、文脈と照らし合わせて適切な訳語を選んだ結果ではないし、デパートという英語においてもあまりにも常識的な用語の存在さえも知らないくらいの学力不足の結果だという事は教頭先生には分からないだろう。

 

これは何も紙の辞書に限ったことではない。もしあの頃、電子辞書を引いていても結果は同じだっただろうと思う。

 

ただし、電子辞書の場合アルファベットを入力していくだけで該当の単語が見出し語として現れるので、例えばスマホに入れているリーダーズ英和辞典で入力してみると、

 

departmennt

departmental

departmentalization

departmental store

 

並列した見出しから比較的目につきやすいため、気づいたかもしれない。

 

しかし、今ここで言いたいのは、この一単語だけを問題にしているわけではない。

 

こんな単語の訳ですら、このレベルだという事であり、もちろん文章を訳すとなるともっとひどい事になるわけである。

 

例えば、

 

I trained my dog.

 

といういかにも即席感ただよう簡単な文章があるとする。というか今作った。

 

こんなにシンプルな文章でさえ、当時の僕ならこんな感じで訳を考える。

 

見たところ、知らない単語は無い。

 

「私」「列車」「私の犬」これをどうやって日本語らしくつなげるのかを考え悩む。

 

これで笑える人と笑えない人で、もうすでに英語が多少なりとも読めるかどうかが分かれる。もちろん、説明のために分かりやすくしている例文であることは了承頂きたい。

 

今笑えた人は、きっとこう思ったはずだ。

 

「おいおい、なんでtrainedが列車なんだ?」と。edがついてるから動詞だろうと。過去分詞として修飾していないから過去形でしょ、と。

 

でも、それは別に文法用語が言えなくてもいいけれど、感覚的にせよこれがいわゆる第三文型であると分かっているから笑えると僕は言いたいのだ。

 

The train had already left before we arrived.

 

の「train」はなぜ「列車」と訳すのか。

 

定冠詞がついている名詞で構造上の主語であるから。という優等生な答えはその時の僕には通用しない。

 

なぜ主語なのか。なぜ名詞が主語になるのか。あるいは名詞はいつも主語ではないのか。というか名詞とは何?

 

そもそも五文型でさえ、高校生になってもよく分かっていないのだ。

 

名詞や動詞というのは、数IAにおける係数や次数、単項式と多項式くらいに業界用語(笑)の基本中の基本であっても、知らない人には知らないし分からないのだ。

 

「幸せ」って英語で何て言うと問われて、happyしか浮かばない人はあまり文法を意識しない人であると予備校の先生が言った事を今でも時々思い出す。

 

I am happy.

 

いわゆる第二文型で「私=幸せ(な状態)」の場合のhappyは形容詞である。

 

しかし、幸せというものが名詞だけの意味で訳すなら、happinessもある。

 

「幸福」と書いた方がピンとくるだろう。

 

つまり、これは問い方に少し意地悪さがある。もしくはそのことを意識せずにその場の空気でどちらが適切か判断する問題とも言える。

 

こんな簡単な単語も外国語に訳す、もしくは逆に日本語にする場合には、気をつかう必要があるという例で話されたわけだ。

 

教頭先生に笑われた時、僕は恥ずかしくはなかったけれど、なぜ笑われたのかが分からなくて、読めるようになるまでずっと心のどこかにひっかかっていた。

 

そして、先ほどのtrainを辞書で引いてみて、それが動詞であり、「訓練する」という意味があって、文意に合った訳語を選べるようになった時、恥ずかしさを覚えた。

 

もちろん、実際はtrainではない他の動詞だったと思う。日本語化しているカタカナ英語が実際の意味と違っている事も多いけれど、トレーニングと言えば、実はtrainにそんな意味がある事も知っているはずだが、英語が苦手な人間はそんな事さえ結びつかないものだ。

 

bookに帳面の意味があり、そこへ書き込む意味から、記入や予約、登録するという意味があると言われても不思議な気がする人も、芸能人がよく使うダブルブッキングや普段よくするブックマークと同じ語源だと言われれば急に身近に感じられる。

 

さて、僕がどうやって英語を読めるようになったのか、もう少しだけ書いてみよう。

 

読めない僕は、受験に迫られてとにかく3000語くらいの単語集を毎日毎日ひたすら覚えた。

 

とにかく、英語が読めないのは単語を知らないからだという実に短絡的な発想である。

 

もっともそれはある程度読めるようになったならば、語学学習につきまとう永遠のテーマでもあるのだけれど。

 

ただ、その時の僕はもっと低いレベルでそう信じていた。

 

で、何とか単語を覚えた。

 

でも、読めるようにはならなかった。

 

英文は依然としてよそよそしく、蟻の行列でしかなかった。

 

それは黒い文字の固まりであり、まるでマトリックスのオープニングのようにディスプレイに表示されるプログラム言語のような意味をなさない紋様のようなものであった。

 

単語さえ分かれば、モヤモヤした霧が晴れると思っていた僕は愕然とした。

 

一体どうすればいいのか分からない。

 

理由ははっきりしている。文法も知らず、辞書も引けないからだ。

 

でも、その時の僕にはその事もよくは分かっていない。

 

だから、選択肢の見分け方だの、パラグラフリーディングだの、とにかくいかにもなテクニックにばかり目を奪われていたけど、それでも全く読めるようにはならなかった。

 

構文集も言ってみれば、長い単語を覚えるようなもので、日本語に置き換えれば、文法も意識せずことわざを覚えているような感覚で、それが長文になるとよく訳せない。

 

というより、見た事のある文章が寸分違わず出てくる事はないので、照合作業では一向に訳せないのだ。

 

藁をもすがる思いでいろんな参考書に手を出して、結果一番自分にぴったりだったのが、当時の受験英語の神様的存在の伊藤和夫先生の本だった。当時受験界では、

 

 

英文解釈教室〈新装版〉

英文解釈教室〈新装版〉

 

 

という参考書の旧版が定番だったけれども、とにかく難しい参考書という堅苦しさが表紙からも伝わるため、それは諦めた。

 

ただ、当時は旺文社にラジオ講座というものがあり、学習雑誌と連動した講義の内容がラジオで放送され、今では超有名な現代文の出口先生も華々しくデビューを飾るような時代であり、その中で伊藤先生といえば、超大物俳優たる存在であったので、その一本調子の講義口調で全く分からなかったルールとパターンの英文解釈講座を耳にし、名前だけは知っていたのだ。

 

その御大が、名著と名高い英文解釈教室をもっと分かりやすい語り口調にかえて例文レベルもグッと下げて出版したのが、

 

ビジュアル英文解釈 (Part1) (駿台レクチャーシリーズ)

ビジュアル英文解釈 (Part1) (駿台レクチャーシリーズ)

 

 

偶然にもこの本との出会いが僕の英文への向き合い方を180度変える事になったのである。

 

青天の霹靂とはまさにこの事であり、今でもこの本は僕にとってはとても捨てる事のできない本の一冊(パート2もあるから二冊か)である。

 

伊藤先生には英文読解のルールというものがあり、その一番目がとにかく僕にとっては衝撃的であったので、抜粋する。

 

(1) The house stood on a hill.

(2) In the house stood a man.

 

この二つの例文の違いが分かるかどうか。

 

それが先ほどのtrainedを自分で分かる単語trainに置き換えて、それに合う訳語だけを探す読めない原因であったわけです。

 

(1)は「その家は丘の上にたっていた」ですが、

(2)は当時の僕なら、inは「〜の中に」で、あとは「家」、stoodは中学の時に何のためかはよくは分からないけれど(という感覚だった)、呪文のように覚えさせられた不規則変化動詞ではないのでstandに直して、あとは日本語でつなぎあわせて考えるわけです。

 

で、「一人の男」が「家」「の中に」「たってる」というつなぎ合わせで、何とか訳をこねくり回すわけです。

 

ところが、これがこの後に例題として出てくる長文、

 

In the early days of the automobile,many people did not think very highly of it.

〜以下、長文続く

 

となると、もう頭の中がパニックで、堺マチャアキのように文字の固まりが、

 

ホニャララ、ホニャララ、ホニャララ?ホニャララ、ホニャララ〜

 

と意味不明のお経のようにしか思えなくなり、頭が痛くなるわけです。

 

分かる人にはくどいでしょうが、これは(2)の変形文でしかないのに、その事が分からないのです。

 

この文章の主語はもちろんmany peopleです。しかし、それはフィーリングで導き出されるものではないし、訳語のつなぎ合わせで何となくそういう意味だろうというような場当たり的なものではありません。

 

もちろんと言えるには、そこに文法としての意識が必要なわけです。

 

しかし、それが無い。

 

そこで、僕はその本のルールを覚える事にしました。

 

ルール1 前置詞のついた名詞は文の主語になることができない

 

ただ、これを理解するには文法用語が分からないとどうにもなりません。もっとも文法が分かる人なら当たり前すぎるルールですが、僕には魔法のような目からウロコ感がありました。

 

僕はその頃、浪人をしていました。

 

そして、当時まだ全く無名で学校法人にすらなっていない東進ハイスクールのCMがばんばん流れていた影響で、こちらの先生の授業を受けていました。

 

古文完全攻略 マドンナ入試解法 (大学受験超基礎シリーズ)

古文完全攻略 マドンナ入試解法 (大学受験超基礎シリーズ)

 

 

ちなみにこの参考書がまだ世に出ていないほぼ無名の時の荻野文子先生です。

 

なぜか僕は当時から古文が好きだったので、たまたま古文にだけ興味があり、また幸いにも難関校クラスのテストに古文だけは合格できたので、受けていたのです。

 

ここで、僕は品詞分解から文法の大切さを知り、さらにその論理的な文章読解にひかれる事になります。ちなみに先生の凄さは参考書では伝わらないハイレベルです。

 

おそらく他の先生もそうだろうと思いますが、参考書にするという時点でどこか一般的な説明にならざるを得ず、しかも実験的な内容にもできない部分もあるのではないかと推察します。

 

林修先生もあれだけ東大生から信頼されていても参考書は出されていません。今でしょ本はありますが。

 

荻野先生は、いわゆるマドンナ講師というタレント扱いのイケメン俳優的な揶揄のされ方が当時は受講生として不快でした。確かにお綺麗でしたし、まぁ今となっては笑い話ですが。

 

当時は私大受験においては代ゼミがもの凄い権力を持っていて、予備校全盛期でしたから、実力若手講師を集めていた東進には無名な先生が多かったのです。ちなみに安河内先生もちょうど東進デビューをされた時で、一度だけ講義を受けた事があります。文節をスラッシュで区切り、復習はとにかく訳し終えた文章を音読して暗記するという王道の授業でしたが、熱意はとても感じました。

 

ちょうどその頃、これまた一冊も参考書を出していなかった

  

出口汪 現代文講義の実況中継(1) (実況中継シリーズ)

出口汪 現代文講義の実況中継(1) (実況中継シリーズ)

 

 

出口先生のラジオ講座(しかもレギュラーではなく、非常勤な扱い)を聞いていました。

 

程なく、お二人ともとんでもないカリスマ講師になるわけですが、その論理的な講義が僕にとっては合っていて、まさに幸運な出会いとしか言いようがありません。

 

残念ながらまだ東進に在籍されていなかった出口先生には、直接教わる事は無かったのですが、この時の人気カリスマ講師の卵の方達から僕はプロ意識というものを感じました。まぁ、その反動で大学には熱意を感じられませんでしたが、それはまた別の話です。

 

ともかく、文法用語への抵抗が無くなり、論理的で分かりやすい説明が日本語も含めて文章読解力を底上げし、伊藤先生の参考書の内容も全部とは言えないまでも分かるようになりました。

 

ここで僕は、テストというものには採点基準があり、解答がある以上、そこには解法がある事をようやく実感したのです。

 

そもそもどの教科もほぼ0点に近い僕が、50点くらい取ることは実に簡単な事でした。

 

だって、その教科のどこを勉強しても知らないわけですから、下がる事はありません。

 

虫食いで勉強しても、何点かは上がります。

 

もちろん、50点から70点、そして、そこからの小刻みな上昇というのは階段の幅も変わり、苦しいわけで、結局そこまで受験勉強に燃え尽きたわけでもないのですが、

 

少なくとも、勉強すれば点がもらえるという、あまりにも当たり前の事を経験する事で、勉強って楽しいと思えるようになったのは大きな財産になりました。

 

俗に言う受験勉強の弊害とは、ある程度勉強した人にしか分からない事だと思います。むしろ中途半端に勉強した人ほど声高に言っているような気さえします。

 

僕にとっては、人並みのhappinessを(笑)初めて得たのです。

 

英単語をただ覚えた作業は空回りであっただけで、その使い方が分かるとやはり英語は単語だという意味も理解できました。

 

英語のテストで圧倒的な存在感である長文は、それまでは後回しにするしかなくて、雑学的な発音問題や文法問題を単品で解くしかなかった僕が、長文問題の解答に時間を割くために、先に単品を解くという風に変わった時の感動が分かって頂けるでしょうか。

 

松屋で大好きなカレーを楽しむために、座ると同時に出されるあのみそ汁を気持ちがはやるあまり、一気飲みするような感じです。

 

何じゃそりゃ。

 

と・も・か・く、その時の僕はオリコンチャート急上昇のインディーズバンドのような高揚感でいっぱいでした。

 

後にも先にもこの感覚は味わった事はありません。

 

今までの不毛な僕が肯定されたような感覚です。

 

たぶん、一般的な受験生は少しずつ学力が上がっていくため、あまりその上昇幅を感じないのだと思いますが。まぁ、スーパーサイヤ人になった時の感じですね。

 

といっても、周りはみんなスーパーサイヤ人であり、超一流大学を目指す受験生はゴッドなのでしょうが。

 

という事で随分長くなってしまいましたが、あくまで一例ではありますが、今英語が読めなくて悩んでいる人にはおすすめの参考書です。

 

但し、文法用語だけは多少なりとも理解しないと読みこなせません。

 

ルールというものがもっと欲しいのなら、

 

 

新装版 富田の【英語長文問題】解法のルール144(上)

新装版 富田の【英語長文問題】解法のルール144(上)

 

 

 

新装版 富田の【英語長文問題】解法のルール144(下)

新装版 富田の【英語長文問題】解法のルール144(下)

 

 

前書きを読むだけでも相当面白いですし、ノリが合えば楽しく勉強できます。文章のノリに比べて内容はかなりしっかりしてますし、英語以外にも学べる部分があります。 

 

あと、たまたま文法用語には強いけど、長文が読めないという人におすすめするなら、

 

 

基本からわかる英語リーディング教本

基本からわかる英語リーディング教本

 

 

ですね。これは僕が受験生の時には無かったので、最近買ったのですが、今の僕から見ても、いわゆる品詞分解としての参考書としてはそこまで丁寧に書きますかというくらい親切です。それをくどいと取る人は合いません。

 

ちょっと例文の単語が難しいのが残念ですが、もしよく分からないなら機械的にこのやり方をまねていくうちにやがてその意図が分かり、自信をもって英語を読めるようになると思います。

 

ここにあるのは抽象論です。

 

演繹法ではなく、帰納法としての参考書。そしてこの基本が数々の英文で実践として読解力の支えとなります。

 

僕はフィーリングで読めるような膨大な英文に接したり、バイリンガルでもないので、受験英語の弊害に挙げられる、文法を重視した返り読みというものが大切であると思っています。

 

それを基本にして、無意識に文法が活用できるレベルになるにはまだまだ遠く、ましてやたった数年の受験期間では到底到達し得ないものだと思います。

 

例えば、こちらの参考書では、

 

かつて「チョイス」という名の英語教材があった

かつて「チョイス」という名の英語教材があった

 
続・かつて「チョイス」という名の英語教材があった

続・かつて「チョイス」という名の英語教材があった

 

 

受験英語を超えた文章読解がなされています。このレベルの英文になると、直訳では意味が通らない日本語になるため、文脈から意味を考え(かつての僕とは違うレベルで)日本語で考えて、こなれた文章を作成する能力が問われます。昔の受験生のレベルがいかに高いものであったかがうかがえます。

 

あの伊藤先生ですら、日本語や漢文の素養が欠けた構文主義であると批判するくらいです。

 

受験英語と英文学の読解には隔たりがあるかもしれませんが、訳してみたら、つまらない内容の英文よりも、同じ学習するなら、

 

英文標準問題精講

英文標準問題精講

 

 

のように、ちょっと心に残るような例文で勉強する方が僕は得した気分になれます。

 

もちろん、本格的な勉強は大学に行くなり、個人的にすればいいのですが、せっかく勉強するなら、ただの知識の勉強におまけが欲しいなと思うのです。

 

入試現代文でも、テストが終わった後になんか今読んだ文章が気になるなと思えば、出典元の本を買ったりもしました。

 

そして、その本が未だに僕の心の本棚にあるのです。

 

なんか、いい事を言ったような気がしたのは気のせいですね、きっと。

 

最後まで読まれた方に何らかのおまけがあったなら幸いです。

 

そして、こんなブログを書くほどに、英語で書かれた文字の集まりが、文章として理解できるようにまでさせて頂いた伊藤先生のご冥福を心よりお祈りします。

 

ここまで、長文に目を通してくださってありがとうございました。なるべく短くしようと思ったのに二時間くらい考えながら書いていたら、8000文字超えでしたw

 

予備校の英語

予備校の英語

 

 



 

 

 

 

三度目の殺人

テレビでやってたから見てみましたよシリーズ。

三度目の殺人

三度目の殺人

 

 

今年の夏は、ジュラシックワールド、コードブルー、ヒロアカ(なんとベタなラインナップw)とわりと映画館に足を運んだ方ですが、昔ほど足繁く通わなくなったので、気づくとアレこれももう放送するの?というくらい公開終了から放送のサイクルが早い。

 

とにかく話題作はスポンサーもつきやすいから旬なうちに放送しちゃおうとか、同じ監督の最新作の宣伝とかで、ちょっと待てば見れる作品が増えましたね。

 

その気になればレンタルより有料動画配信ですぐ見れますし。

 

さて、話題の是枝監督作品で日本アカデミー賞を獲りまくりでしたから記憶に新しい作品です。

 

僕はなんとなく役者と監督が揃いすぎて避けてしまいましたが、見てみると会話劇でしたね。

 

真実は表か裏か、裏か表か。

 

反転し続けて終わる話。

 

うーん、長いわりには微妙。どうにも各キャラに感情移入しづらい。

 

あえてそういう風にしているから、いろんな視点で見れるとも言えますが、そうだとしても容易に距離が縮まらないような感じでした。

 

弁護士と殺人者と言えば、僕にとっては未だにコレ↓

 

 

疑惑

疑惑

 

 

岩下志麻桃井かおりのとんでもバトル!

 

さらに脇を固める(今から見ると)豪華俳優陣。

 

原作は短編でだいぶ印象が違いますが、何度リメイクされてもこの二人のガチバトルの凄さは超えられない。

 

今なお大物女優の二人の原点というのは失礼かもしれませんが、とにかく永遠に上書きされることのない傑作だと思っちょります。

 

斉木楠雄のΨ難

テレビでやってたから何となく見てみましたよシリーズ。

斉木楠雄のΨ難

斉木楠雄のΨ難

 
超能力者斉木楠雄のΨ難 コミック 1-25巻セット

超能力者斉木楠雄のΨ難 コミック 1-25巻セット

 

 

山崎賢人はぴったりですよね。見た目とかイメージに。

 

で、悪くはないんです。

 

でもね、

 

 

 

アニメが面白すぎなんですよね。

 

原作ももちろん面白いんですが、声優さんの間の取り方やテンポが見事というしかない。

 

各キャラも濃いし、元々短い話が続いていくこち亀形式なので、長編にすると間延びしがち。

 

実写化としてはキャラも似せてて悪くはないんですが、基本的に楠雄がツッコミ役なので、うまくハマらないと寒い。

 

初めて見る人ならいいと思うんですが、まだ30分ドラマでやる方が良かったような気がします。

 

原作は残念ながら終わってしまいましたが、とにかく楠雄の冷めたツッコミが毎回面白くて、周りもおバカ中二病キャラばかりで笑えます。

 

アニメは一見の価値ありですよ。

 

 

大恋愛〜僕を忘れる君と

とりあえず1話は見てみましたよシリーズ

 

www.tbs.co.jp

 

戸田恵梨香さんとムロツヨシの恋愛ドラマ。

 

一話を見た限りではまだこれからというところでした。

 

遠距離恋愛をしている戸田恵梨香さんとトキオの松岡さんが結婚しようということなり、とりあえず戸田さんが新居へ一足先に引っ越ししようと頼んだ業者にムロツヨシがいる。

 

そこで二人は知り合うのですが、ちょっと珍しいのは戸田さんが大好きな本の作家が(いかにもドラマだけど)今は生活のために引っ越し会社で働いて夢を失くしているムロツヨシという設定。

 

そして二人は強くひかれあう(笑)

 

まぁ、王道ですよね。

 

この設定で思い出すのは、やっぱりコレ

 

 

私の頭の中の消しゴム (字幕版)
 

 

この設定で泣けないわけはない。

 

ちょっと設定は違いますが、似たような話で最近だと

 

 

 

さて、あと見たドラマで印象に残ったのは、

www.tbs.co.jp

 

原作は漫画みたいですが、

 

中学聖日記(1) (FEEL COMICS)
 

 

男子中学生が教師に恋をする話。

 

まぁ、これの逆バージョンなら

 

 

高校教師 DVD BOX

高校教師 DVD BOX

 
高校教師 DVD-BOX

高校教師 DVD-BOX

 

 

ですかね。

 

あそこまでドギツイ感じになるかは不明ですが、

 

高校生(中学生という設定ですがどう見ても高校生)が大声で「好きになっちゃいました、どうしていいか分かりません!」と告白するシーンは、青春ど真ん中で気恥ずかしいけどいいですね。

 

だいぶ前ですが、橋のたもとで若いOLがおじさんに「スケベ!」とビンタしていたシーンに出くわしたことをなぜか急に思い出しました。たぶん上司と部下みたいな感じでしたが。

 

これが高校生同士なら微笑ましいんですけどねー。