美内すずえ、おそろしい子
お風呂に入る前にエアコンを点けて、戻ってきたら送風モードで意味がなかったですよ。
さて。
本日は記念すべき日です。
なぜなら、
あの、
美内先生が対談番組に出たのですから!
累計部数5000万部を超えるという演劇少女漫画の金字塔
まず番組を見た印象は、
美内先生って、腰低いなーという事。
ほぼ初めて長時間お話しされる先生を見たのですが、
こんな朗らかな女性から、あんなスゴイ作品が生まれるなんてアンビリバボ。
1976年から休載はあるものの40年あまりの大作。しかも未完w
漫画ならではの演技の表現ながら、音や動きのないコマに引き込まれ、いつしか劇中の観客とシンクロしてしまう臨場感。
そんな作品がどうやって生まれたのかという問いに対して、
絵で物語を考え、突然ストーリーに全然関係ないシーンが浮かぶと答える美内先生。
泥まんじゅうはそんなシーンから生まれたストーリーなのだとか。
うーむ、天才。
「おらぁトキだ!」
全ての動きを封じられた人形ギプス。
狼少女、女海賊、乙部のりえにリベンジする亜弓さんw
マヤが演じる難しい役を見る度にワクワクしたあの頃。
永遠のライバル姫川亜弓。
名監督と大女優の間に生まれたサラブレットであり、天才でありながら自分の才能に満足しない努力型の人間。
マヤが感性で演じるなら、亜弓は理性で演じる。
しかし、二人は互いに無いものを認め合い、女優として演技で闘う。
美内先生は作品を描く時、読者だった子どもの頃の自分がダメ出しをするという。
つまりそれは客観性を失っていないという事だろう。
ただ自分の好きなものだけ書いていては商業誌でプロとして残れるわけがない。
先生曰く、アイデアは絞り出さない方がいいらしい。
潜在意識の中で眠っていたものが突如目覚める。
スケッチブックに書きなぐった何かが喫茶店で具現化する。
群衆の中の孤独。
喧騒が何かを刺激するのだろうか。
生きるために描く、描くために生きるという10代からの漫画家としての自分は、しだいに無の存在になっていき、30歳の頃少しずつ人生に対しての考え方が変わってきたそうだ。
ところで、紅天女(くれないてんにょ)という幻の役について、僕は描かなくてもいいとさえ思っている。
読者一人一人の中の紅天女像はハードルが上がりすぎて、誰もが満足できるお話を描くことは不可能だろう。
絶世の美女が人によって変わるのに同じ。
しかし、しかしである。
美内先生ならあるいは?という期待がここまで巻を重ねたとも言える。
話は変わるが、三上博史がガラスの仮面の中で演じたいのは鷹宮紫織というのだから面白い。
意外?
いえいえ、「あなただけ見えない」で三重人格を演じた三上博史ならできそうだ。何せあの明美を怪演した俳優である。
三上博史演じる紫織が嫉妬で狂いながら、バラを切り刻む様を見てみたい。
もう何の話だか分からない?
オーホッホッホ、ただただ昭和世代を羨むがいい。
とにかく、あっという間の一時間でした。