はずれスライムのつぶやき

どうでもいいことについて適当に考察していきます

AIの限界とは?

本屋で見かける気になる本シリーズ。

 

AI vs. 教科書が読めない子どもたち
 

 結論から言うと、とても面白い本だった。

 

しかも途中でダレることなく、ページをめくるのがもどかしいほどに。

 

著者の結論はサンプルでも読める序文にすでに示してあります。

 

つまり、AIとはルンバとかsiriに代表されるようなAI技術のことであって、人間の代わりになるようなAI(いわゆる一般的に使われるのはこちらの意味)ではない。

 

そして、AI技術は数学の理論でできている以上、限界がある。

 

一定の条件やルールの下で行われる囲碁や将棋では、AIが人間に勝ったという話を聞くと人間を凌駕したというイメージから安易にターミネーターのような人類対ロボットの構図を描きがちだけれど、数学が根底にある以上は人間を超えることはできない。

 

超えたのは一部の分野である。計算できるものは確かに得意だが、それにはベースとするデータが必要である。

 

だから、グーグル検索のような決まった形式の問いには答えられるが、知恵袋のような質問には答えられない。なぜならそれに答えられるデータが無いから。

 

いや、ネット上にはたくさんの参考となる例があるではないかと思うかもしれない。

 

でも、そのデータの信頼性は人間が判断し、基準を作らないといけない。

 

いやいや、それもある程度、類型化できればAIに任せて学習させればいい。

 

確かに。

 

事実、siriの質問に対する精度は上がっている。ただ、使いながらこういう質問の仕方はダメなんだなと人間が合わせているのも現状。

 

つまり、まだまだ発展途上。類型化のパターンが少ないものに限られる。

 

人間の脳が数学的に解明されていない時点で、すでにAI技術が人間に代わることはできないと証明されているのと同義。

 

なんでもAIに任せてしまえと思える人はこの本を読めば、それが幻想に過ぎないことが分かります。

 

大学入試の問題をAI技術に解かせると中堅私大に受かるところまでは来ているらしい。だったら、いずれ東大入試さえも合格できるのでは?と思うのも早計。それも先ほどの理由と同じで幻想に過ぎない。AI技術が答えられない問題があるのだ。

 

その「いずれ」は少なくとも後50年くらいでは訪れそうにはない。数学が今より格段に進歩した遠い未来に可能性があるという程度。

 

では、そのAI技術がこなせる仕事が増えた場合はどうなるか?

 

先ほどの理屈で行くなら、AI技術以上の能力を持つ人は安泰となる。

 

あくまで入試に限って言えばということにはなるけれども、中堅以上の大学に入れる人は大丈夫。

 

えっ?

 

じゃあ、ほとんどの人はAI技術に乗っ取られるではないか!

 

まさにそれについて考察しているわけです。

 

私は上位に入っているから大丈夫?

 

でも社会を支えているのは、上位の人だけではありません。

 

生活するには仕事があり、その仕事には必ず(間接的であっても)相手がいるわけで、その無数の相手が社会であり、そのうちの一人が例えば僕です。

 

タイトルにある「教科書が読めない子どもたち」とは著者が作り上げたテストを通じての判断ですが、まず教科書というものが読めなければ日常生活でも支障をきたしますし、大学に進むかは別として、何かを学ぶ際にも障害となるという意味で教科書を基準にするのはうなずけます。

 

ではそのテストの信頼性はどこから来るかと言うと、中堅私大に合格できる能力を備えたAI技術がデータの基になっているのです。

 

なんだ結局、学校の話かと思えばそれまで。

 

でも、もし全く学校教育を受けなければ、僕らは生活に随分困るはずです。社会の常識となる部分は学校教育が基盤であることは認めざるを得ない。

 

では、何が足りないのか?

 

言い換えれば、AI技術でも解けない問題に必要とされた能力は何かと言えば、「読解力」であり、つまりは教科書(すら)読めない学力はAI技術と変わらないから危ないとなるわけです。

 

随分周りくどい書き方をしたけれど、なぜそうなるのか。

 

AI技術は「読解」をしません。あくまで数学的にデータベースの中から類似解答を照合して解答します。そして、入試のある問題にはその方法で正答が出せる問題があり、それに適した問題を出す大学なら合格もできる。

 

教科書が読めない学生は、独自のテストを受けさせると、表面的な読み方だけをして、膨大なデータベースから照合作業を繰り返すAI技術にある意味似ており、テストの結果だけを見れば、AIの正答率を下回る人が予想以上に存在する。

 

と言うことは、過去に教科書が読めない子どもであった大人はAIに職を奪われる可能性が高く、これから大人になる子どもたちはますますその傾向にあるのです。

 

では、「読解力」とは何か?それが必要とされる職業とは何か?それについては本書を読めば分かります。

 

ですが、肝心の読解力はどうすれば養えるか?については明確な答えはありません。

 

読書する人には読解力があると誰もが思うでしょうが、調査結果では否定されています。読書好きの僕としては全否定ではないとは思いたいですが、いろんなテスト項目との相関関係が見られなかったというのは事実です。

 

ただ、読書にも読み方はあると思います。

 

かつての僕はこのブログでも紹介しているように、なんとなく文章を読んでいました。目で文字を追っているだけで意味を理解していない状態にあったと思います。

 

それが現代文を勉強したことで意識が変わり、あの頃よりはいろんな本から意味を理解し学べるようになったと思っています。

 

著者はこの本の印税を受け取らず、開発された独自のテストを少しでも多くの学校に無償で提供できる費用に回すそうです。

 

目的は全ての中学生が卒業までに教科書を読めるようになること。それはAI技術と共存するこれからの社会に必要な能力なのだと結びます。

 

これはあくまで一論考かもしれません。でも、10年前には考えられなかったことが現実化しているなと実感しました。

 

AI技術ができることとできないことを知っておくのは僕にとってはなかなか有意義な経験でした。気になる方はどうぞ。

 

 

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