ktfield’s blog

どうでもいいことについて適当に考察していきます

幸せになる勇気

アドラー心理学を分かりやすく広めた

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

 の完結編である

 

幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

 

 

こちらは『嫌われる勇気』に比べると3分の1くらいの売り上げ。

 

ファーストアルバムがブレイクするとセカンドアルバムは下がるの原理。

 

でもパート2が面白い作品もたくさんある。

 

だから、読んでみた。

 

うむ、これはスゴイ。1作目よりもさらに過激。どういう事?の連続で面白かった。

 

1作目のまとめも紹介されるのでこの本から入ってもいいけど、アドラー心理学自体が常識化している考えに逆行するものなので、ちょっと理解しづらいと思います。

 

また2作目があまり売れていないという事は、アドラー心理学が受け入れがたいと思った人やもう十分だと思った人も多いという事でしょう。

 

そこで、今回はいつもよりはちょっと内容に言及して、興味が湧いた方は読んでもらえばいいかと紹介してみる。

 

さて、対話という形式の前作を踏襲し、今作も哲人と質問を投げかける青年が登場する。前回の別れから三年後、青年は大学の図書職員を辞め、母校の中学教師になっています。

 

教師という立場で生徒にアドラー心理学を実践したものの、うまく行かず元々懐疑的であった性格が再燃し、怒りにうちふるえながら哲人の部屋を訪れます。

 

つまり、今回は教育というテーマから対話が始まるのです。

 

青年は、アドラーにおける「課題の分離」とは、自分の課題と他者の課題は分ける。我々は他者の期待を満たすために生きているのではない。自分の課題には他者は介入させない。

 

という考えからすると、教育は介入ではないのかと哲人に問う。

 

それに対し、哲人は教育の目標とは子どもの自立を促す事であり、自立への援助をすべきであって、介入ではないと答える。

 

そして、教育の入り口として、生徒を尊敬しなさいと。

 

ここで言う「尊敬」とは、従来の意味ではなく、他者の関心事に関心を寄せること。それが共同体感覚につながる。

 

「自分の」ではなく、「他者の」目で見て、「他者の」耳で聞き、「他者の」心で感じること。

 

もしも私がこの人と同じ種類の心と人生を持っていたら?と考え、共感する、それは技術であって身につけることが可能である。つまり、相手に介入するのではなく、相手に飛び込む感覚。

 

生徒を尊敬すれば、それは周り(共同体)に伝染する。

 

いかなる権力者でも強要できないものがこの「尊敬」と、そして「愛」であると。

 

だから、生徒を叱っても褒めてもいけない。

 

例えば、生徒がよくない事をした場合は、それがよくない事と知らなければ教える。

 

知っていてあえてその行為をやっているなら、その背景には次の5つの心理がある。

 

1.称賛の要求=褒めてもらう事で共同体の中における特権的地位を得ようとする

2.注目喚起=褒められなくてもいいから目立つ事で共同体の中における特権的地位を得ようとする

3.権力争い=積極的な生徒は反抗を、消極的な生徒は不従順な態度を取る事で共同体の中における特権的地位を得ようとする

4.復讐=自分を認めてくれない、愛してくれない人への憎しみから注目を引こうとし、今の境遇を周りのせいにする

5.無能の証明=これ以上自分に期待されたくないという思いから、自分がいかに無能であるか、あらゆる手段で証明する

 

4と5については、専門家に任せるしかないが、問題行動の大半は3の段階でとどまっているので、それ以上の段階に踏み込ませないのが教育者の大きな役割である。

 

そのためにも「尊敬」し、自立を促すべきである。

 

では、褒めるのはなぜいけないかと言えば、対象の生徒を褒める事で競争原理が働き、他者は敵であるという考えが生まれ、自立を妨げるから。

 

アドラー心理学では、タテの関係は否定され、ヨコの関係を肯定します。教師と生徒の関係ではなく、一人の人間として生徒をアドラーの文脈で「尊敬」する。

 

ここで思い出すのが、このドラマ。

 

女王の教室 DVD-BOX

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成績順位により生徒に賞罰を与え、教師という特権を使って教室を支配する女教師・阿久津真矢(あくつまや)。

 

まるで恐怖政治そのものの独裁者と生徒たちの一年間の戦いの記録。

 

女王の教室スペシャル DVD-BOX

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スペシャル版では、なぜ彼女が生徒に冷徹な態度を取るようになったかが描かれる。生徒と友達の関係を築いた事で起こる悲劇。

 

本編のドラマは社会の厳しさを子ども達に直球でぶつける教師の行動が、物議を醸し出し当時は話題となりました。

 

しかし、回を重ねていくうちに、これは生徒の自立を促した教育の一つの姿という事が分かります。

 

一方で、教師ドラマの名作と言えば、やはり金八先生ですね。

 

もちろん第八シリーズまで全て見ました。ファイナルはリアルタイムで。

 

金八先生は一見友達のように生徒に接しますが、根底にあるのは生徒を人間として見ている点。とことん生徒に寄り添うのが心情。まるで自分の家族のように生徒の人生に入り込む。

 

そういう所が、多くの人の心を掴み連続シリーズとして人気を博しました。

 

最近やたらと話題のパワハラ体罰の問題を考えるとなかなか感慨深いですね。

 

閑話休題

 

ここまでは教育というテーマを軸に話が進んできましたが、

 

アドラー心理学の根幹は「人間の悩みはすべて対人関係の悩みである」

 

そして話は、「対人関係の幸福」へと移る。

 

それには次の3つがある。

 

1.仕事の関係

他者とは条件つきの「信用」の関係。自分の得意分野を活かす事で他人の苦手な部分を補い分業する事で、自己の幸せを追求する利己が利他につながり、共同体の幸せにつながる

 

2.交友の関係

他者を無条件に「信頼」し、「尊敬」する事が他者の幸せにつながる

 

3.愛の関係

利己的に「わたしの幸せ」を求めるのではなく、利他的に「あなたの幸せ」を願うのでもなく、不可分なる「わたしたちの幸せ」を築く事が共同体全体の幸せにつながる

 

3番については、もう少し補足すると、

 

「幸せ」とは「わたしは誰かの役に立てている」という貢献感であり、生まれた時は自活できないため己の弱さをアピールし、自己中心的にならざるを得ないが、人を愛する事で自分から解放され、世界を受け入れ、自分は世界の一部であると自覚し、自己中心性から脱却した時、初めて「自立」し、幸せを得る。そしてそれがみんなの幸福につながると結論づける。

 

だから、アドラーは自分の不幸な境遇やトラウマにこだわっている人は自己中心的であり、それはいわば甘やかされた子どもと同じであると厳しく批判する。

 

しかし、アドラーはこの思想が時代に合わせて更新される事を望みます。彼は自らの心理学を「すべての人の心理学」と位置づけ人々の中に生き続ける事を希望したのです。

 

2番目の無条件に相手を信頼するという部分に補足をすると、アドラーは他人から認められたいという承認欲求を否定します。相手に受け入れられたいと願うなら、まずは自分が相手を受け入れる。相手の理解できない部分をも含めてありのままを。そして見返りは求めない。

 

それが課題の分離であり、他者の評価は気にしない事でありのままの自分を受け入れる事が自分を含めたみんなの幸福につながると。それが嫌われる勇気であり、幸せになる勇気であると。

 

前半の教育における質疑応答が伏線となり、アドラー心理学の大きなテーマである対人関係の悩みの解決へ集束する構成は見事ですね。

 

本の終わりで、哲人は青年に別れを告げます。青年を勇気づけ、「自立」を促し終わります。哲人は常にヨコの関係を築き、青年はそれに気づかされます。

 

アドラー心理学を知る前には青年の側で疑問を持って読んでいきますが、再度読むと今度は哲人の側から青年を見るようになります。

 

そうして繰り返し読む度に、果たして自分はどちら側の考えを選択するかと悩みます

 

これまで「わたし」の視点で読んでいた「あなた」は各人の「わたし」であり、ひいては「わたしたち」であると主語が変化していく不思議な体験。

 

この本に書かれている言葉は易しく、内容はシンプルですが、深く、忘れがたい難題です。僕はこれからもいろんな局面でその意味を考え、何度も更新していく事になるでしょう。