はずれスライムのつぶやき

どうでもいいことについて適当に考察していきます

ONE OK ROCKと市原悦子さんとー僕と。

今日はみなさんにアンテナが立つ話をしていきたいと思います。

 

まずはそうですね、何から話そうかな。先生は口下手なので、少し緊張しています。

 

たぶんあまり長くは話せないと思いますけど、どうか最後までお付き合いください。

 

覚悟してね。

 

えっ、いえいえこちらの話です。気にしないで。

 

fortuna-movie.com

 

こちらのチラシが駅にあったんですね。

 

うん、映画館の予告では見たことがあります。

 

神木くんがやたらテレビに出てるなと思っていました。子役の頃から見ている彼です。

 

でも、僕の中では彼は子役というよりも、こちらの印象が強い。

 

 

 

 

大杉漣さんを脅す一十一(にのまえじゅういち)。戸田恵梨香さんのこれまでのイメージをぶち壊す意味でも、『ケイゾグ』の流れを組むこちらの作品は衝撃でした。

 

こういう作品はドラマだけで終えて欲しいな。寸止めの良さというか。

 

でも、人気が出れば映画化され、どんどん味がなくなっていくガムになるのはよくあること。

 

作品の世界観を楽しむためのおまけみたいなものとしてシリーズ全部が好きです。

 

で、その映画のチラシがなぜあったかというと、僕が普段利用している電車をロケの一部として使用していたからなんですね。

 

まぁ、そういう何かが少しずつ蓄積されていくとアンテナが立ち始めるわけです。

 

書店に行っても、何となく原作の

 

フォルトゥナの瞳 (新潮文庫)

フォルトゥナの瞳 (新潮文庫)

 

 

が気になって手に取ってみたり、パラパラとめくったり、

 

レジに持って行こうか迷ったり、

 

でも、友達に見られると恥ずかしいし、

 

藤崎詩織かお前は。

 

ときめきメモリアル?Forever with you?

ときめきメモリアル?Forever with you?

 

 

あっ、何でもない、何でもない。先生、時々壊れるから許してね。

 

どうも話が簡潔すぎて申し訳ないですね。

 

でね。

 

でよ。

 

映画観に行ったとか思うでしょ?

 

でも、そうじゃないのです。

 

そういう文脈を推測する能力は文章を読む上で大切にして欲しいです、先生は。

 

CMを見かけました。

 

まぁ、それも何度か見ているはずですけども、同じものを見ていても何も思わないこともしばしばあるわけです。

 

ただ、アンテナがあるとね、ちょっと違う感じで見るわけです。

 

主題歌がいいなと先生は思いました。

 

あっ、もうこの設定いいですか。

 

はい、すいません。

 

ここから全開で行くぞ!拳を振り上げろ!

 

あっ、そういうのもいい?

 

でもね、これが今日の全体を束ねるような感覚なんです。完全感覚Dreamer!かかってこいよ!! 

 

やっぱりやめてください。暴力は反対です!

 

ともかく、その主題歌を調べてみたわけです。

 

なんかいい感じの洋楽だなーと。

 

そしたらよ、まぁもうタイトルからバレてますが、

 

ONE OK ROCKだったわけです。

 

でも、僕はほとんど知らないんですね。

 

あいにくバンド名といくつかの情報くらいしか持ち合わせていない。小学生のお小遣い程度。

 

もちろんこれまで彼らの音楽をちゃんと聞いたこともない。

 

ただ最近、YouTubeのCMで音楽を語るシーンをやたら見るなぁくらいの。

 

そしたら、たまたま

 

Eye of the Storm (初回限定盤)

Eye of the Storm (初回限定盤)

 

 

というアルバムが出たばかりらしい。

 

まぁ、映画も含めて、宣伝すべき時期だからこそ、目にする機会が多いとも言えますが、急に自分の中心に来たというわけです。

 

で、過去の経験からして先入観で避けてきたものに後悔するという事はままあるので、気になった物はかじってみようという気持ちから、アルバムをダウンロードしてみたわけです。

 

とにかくおったまげましたね。

 

そもそも僕は洋楽に関してはかなり疎いので、マイケルジャクソンのあれやQueenのあれを映画で観ても、ほとんど曲を知らないくらい超メジャーな曲すら知らないのですが、

 

生粋の日本人、バリバリ昭和世代のちょっと老眼が入って来た僕からすれば、日本語の上手い外国人が歌っているのかと思うほど洋楽にしか聞こえないアルバムだったのです。

 

きっとファンの人には怒られてしまうと思うのだけど、無知な人間からすればJustun Bieberかと思うほどの違和感の無い英語の発音にびっくりしたのです。(後で調べると、Head Highは同じプロデューサーらしい。オケ録の前にまずはアカペラで歌ったものを録音し、後からサウンドをつける独特の曲づくりだったとか)

 

漫画で言えば、

 

BECK 全34巻完結セット (KCデラックス)

BECK 全34巻完結セット (KCデラックス)

 

 

これは彼らが伝えたい本質から外れることだとは分かっていても、初めて触れた人はどうにも避けようのない感覚かと思います。

 

日本人として海外に挑戦するからこその。

 

でも、それは宇多田ヒカル的な、歌姫ってなんなん論争めいたものだと認識した上で、まぁ彼らにとってはどうでもいいことなのでしょう。

 

音楽を、作品を、楽しむのは自由だ。

 

まぁともかく、僕はゆったりした感じの曲が好きなので、ちょっと調べてみたら、どうも今までのワンオクとは違うのですね。

 

第二章という呼び名から某グループの旧ファンと新規ファンの対立をも連想してしまいますが、ともかく路線変更があったらしいことは間違いないようです。音楽雑誌の中でも新たなステージへの旅立ちだというようなインタビューでした。あれはあれでやりきったのだと。

 

そこで、そのあれとやらを確認するために、一つ前のアルバムのライブ

 

 

を見てみました。

 

どうやら、ファンの間ではこれでもちょっと路線変更したような感じですが、

 

見た感想はと言えば、

 

オラ、ちょっとぶったまげたぞ。

 

何ですかこれは。

 

この熱さは。

 

そもそも僕はロックというものは、ほとんど聞かないし、メジャーポップスが好きなので、語るだけのものを持たないのですが、

 

もし僕が10代ならかなり影響されたのではないかという熱さがそこにはありました。見せ方も上手いし、観客への煽り方もスゴイ。そして、CD音源なんか比べ物にならないくらい歌が上手い。上手いという表現が拙くなるほどに声に表情がある。

 

誰しも好きなアーティストには、思い入れがあるでしょうし、誰が上手いとかいうこと自体ナンセンスですが、素直にすごいなと思ってしまいました。

 

洋楽のモノマネだと言う人もいるでしょう。

 

英語の口で歌う唄と日本語の口で歌う唄と、その両方と。楽器のように奏でる声と、まだまだ模索中のようであることも窺えます。

 

彼らが目標へ向かう真摯さには、ある程度の歳を取ってしまうとまぶしく目を細めてしまう自分もいるわけで。

 

少年ジャンプの王道漫画のような真っ直ぐさを避けたくなる自分もいます。

 

でも、僕はそういうのが好きなんですね。

 

それを認識させられました。

 

光があれば闇がある。

 

光が強ければ闇が濃くなる。

 

でも闇をも作らないくらいのどこまでも光で覆い尽くすような世界に僕は憧れるのです。それを自覚せざるを得ないくらい、彼らは輝いてそこにいました。

 

キレイごとだと批判する人を否定するわけではない。

 

元気な挨拶が迷惑だと思う人がいることくらい分かっている。一方でそれが気持ちいい人もいるのだと否定するのではなく、理解して欲しい。逆もしかり。

 

決して押し付けたいわけではない。押し付けられる迷惑を声高に主張する人や態度に出す人が苦手なだけだ。

 

みんなが平等なわけではない。

 

人は人を差別する。誰かの足を引っ張ることが生きがいのような人もいる。

 

でもそれを行動に出すか出さないか、それでその人が好きかどうかを密かに判断するのが僕。

 

そこまで心が広いわけでもなく、そこまで何かを諦めたわけでもなく、毎日弱くても強くても、とにかく生きていく。みんなもそうだと思いながら。自分の中の光に蓋をしたり、しなかったり。

 

ワンオクのファンだと言い切るつもりはない。

 

まだ、それほどに彼らを、彼らのこれまでの軌跡を知らない。略称で呼ぶなという批判もあるだろう。

 

ただ、今感じたことを今ここに刻む。あなたが好きか嫌いかを聞いているのではなく、僕が心に残ることを書き綴る。

 

これからライブを見る人もいるだろうから、できることなら興を削ぐようなことをしたくはないのだけど、発売から経っているし、TaKaのMC部分の一部を多少中略しながら載せたいと思う。

 

ー『Take what you want』 のMCより

 

今までのONE OK ROCKが作ってきた曲がいろんな人達の背中を押して来たんだったら、これからもそれをやって行くのか。それとも違う方法論でこの先の10年間を突っ走って行くのか。

 

こっから先の10年同じことをやるのかと言われたら僕の中で答えはノーでした。

 

これからのONE OK ROCKは自分達がしっかりと夢に向かって走って行く、そんな姿を見て、ああ自分達も頑張って行かなきゃいけない、背中を押されているなーと。そんな風に感じて欲しいなと心の底から思っています。

 

すごく冷たいこと言うようだけど、ONE OK ROCKがなきゃ生きていけないなんていう、そんな淋しいこと言ってるようじゃ、ぶっちゃけ自分の夢になんか到底追いつきません。

 

なぜなら俺らは俺らのために音楽をやり、自分達のために今日も生きてる。

 

そして今日、この会場に来たあなた達も、同じようにチケットを買って、自分で生きて、この会場まで自分の足でたどり着いてるはずです。

 

とってもわがままなバンドかもしれないし、いろんな言葉をこれからも投げかけるかもしれないけど、絶対に忘れないで下さい。

 

僕たちは、みなさん達と、一緒に頑張るためにバンドやってます。

 

みなさん達に、こんな俺らでも、こんなことできんだぜって、見せるためにバンドやってます。

 

僕らはアイドルグループでも、ボーイズグループでもありません。

 

忘れないで下さい。ロックバンドです。

 

メディアに何を非難されようが、知らない人間に何を言われようが、俺らはこれからも自分達の道を突き進みます。

 

そして、今日ここに来てくれているみなさん達と一緒にみんなが、それぞれ、不可能かもしれないけど、素晴らしい景色を見るために頑張って行けたらいいなと思っています。

 

 ー『We are』のMCより

 

18歳の頃僕らは、いつか自分達が何か変えられると、いつかこの腐った音楽業界を超えてやると、そしてロックがまた再びこの日本に戻ってくること、いや日本のバンドがいつか世界を制するかもしれない、そんな現実を突きつけてやろうと、俺らは誓いました。

 

まだ何も叶っちゃいないかもしれない。でも俺らは諦めない。

 

今日この会場に来ている18歳より上、俺はもう年だから、そんな風な言葉を酔っ払って吐くような奴に、次の曲を贈ります。

 

ONE OK ROCKのライブに来たって事は、そんな感情じゃないものをちゃんと持って、熱い感情を持って来ていることぐらい分かっています。

 

次の曲頼むから一緒に歌ってくれよ!

 

(中略)

 

他の誰かになりたいとか、そんなくだらないこと、絶対に思うなよ!お前らはお前ら自身でしかない。誰かのせいにして自分の夢から逃げるな。自分をよく見ろ!不安を飼い慣らせ!

 

いいかお前らにできることはたくさんある。自分の胸に手を当ててよく考えてみろ。一番したいことは何なのか。それがきっと明日からはみんなにできるはずです。

 

よろしくお願いしますっ!

 

 

さて、

 

熱くなってしまったので、少し頭を冷やそう。

 

夢とは何か。

 

持っていない人。探している人。探したけど、やっぱり見つからない人。見つかって挑戦したけど挫折した人。別の何かを探す人。

 

生きていくとは何か。

 

いろんな思考が錯綜しながら、それが生きていくということなのかと今日もどこかでふと思い、また忘れる。そしてまた誰かを見て思い出す。あるいは誰かのために何かをして生きている実感を得る。自問自答。流される日常があるだけ幸せでないかと思う。

 

自分が中心にいすぎて疲れる。それでいて中心から外れることができない。できたつもりで忘却か回避しているだけ、etc

 

人生の先輩であり、大女優である市原悦子さんの「おやすみ日本」の特番があった。

 

朗読の際に全身に力が入ると、手も足も震えが止まらない。進む病状。

 

そして、病室のベッドの上で最後の、いや最期の「日本眠いい昔ばなし」の朗読が収録された。2018年12月21日。

 

市原さんからの提案で実現した、この貴重な収録に市原さんはこんな条件を添えた。

 

「今回は原稿を読むんじゃなくて、私の言葉で、私なりに話したいんだけどいいかしら?」

 

原稿の無い、頭の中の記憶をたぐりよせながら鳥取の昔話を語り始める。それは6分ワンテイクで収録された『米出し地蔵』という物語。その声は弱々しくも、時折、芯の強さと優しさを感じさせながら、僕を物語の中へといざなう。

 

語りが終わった後、市原さんはこう続けた。

 

「いい話でしょ。ふふふ。わたくし今日はゆっくり眠れると思います。みなさんもよ、きっと。いい夜がきますように。ふふふふ。」

 

あえて気丈にふるまった微笑みを、言葉にはないメッセージを僕は勝手に受け取った。その気持ちに言葉をつけないでおこうと思う。ただただ何かが去来するそれには。

 

自分を生きるとは何なのか。きっと死んでも分からない。誰かがそれに意味を与えてくれる幸せを感じることもその時にはもうできない。

 

強く生きるのは疲れるけれど、誰かが自分の生き方を見ているのだと思えるだけで強くなれる時もある。生きている以上、本当の孤独など存在しないと、僕は思う。そしてもし孤独を感じたのなら、僕は外に出たいと思うだろう。誰かに自分のそんな気持ちを全然関係ない話で伝えたいと思うだろう。そう思わせてくれるのは他人の存在であり、誰かにとってそう思われるような自分でありたい。

 

これからも僕は誰かの心ない言動や偏見をそれなりに受け止め、ある時は誰かを傷つけ、反省し、またある時は誰かの作品や生きる姿に感動し、人の優しさをかみしめ、そんないろんな感情に翻弄されながら、生きていくと思います。

 

それが今の僕の生きているということへの感想です。応援する側だけに回るにはまだ早いと一生思えたらステキなことですね。

 

よろしくお願いしますっ!w 

 

最後まで読んでくれたあなたに、ありがとう。