もし右や左がなかったら

言葉というのは実に不思議である。

 

日本語の表記も「ことば」「コトバ」「言葉」と表現するだけで随分感じが違うけど

、このニュアンスは他言語を使う方に説明するのは難しい。

 

個人のセンスもあるけど。

 

さてさて、人間は言葉で思考する動物である。言葉にできない物というのも確かにあるけれど、頭の中で言葉が化学反応を起こしあって思考が飛躍していく。

 

もし、小説一九八四のように言葉に対する意味を都合のいいように限定し、教育すれば思考は狭められ焚書坑儒以上に恐ろしい。

 

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

 

 さて標題の件ですが、

 

 世界には右や左という概念がない民族もいるという。

 

言語人類学という学問でいろいろと研究されているらしい。

 

 例えば自分の右側に立っている木は人に説明するのか、方向の概念が何を基準にしているかという面白実験が載っているのがこちらの本です。

 

もし「右」や「左」がなかったら―言語人類学への招待 (ドルフィン・ブックス)

もし「右」や「左」がなかったら―言語人類学への招待 (ドルフィン・ブックス)

 

 

僕が大好きな「ことばと文化」にも似てますね。

 

「ことばとは氷山の一角である」で有名なこの本は、例えばGODという言葉を神と訳すのは簡単でも、それぞれの持つ神は変わり、その言葉の背景にある文化までは訳した事にならないという説明がなされています。

 

他にもwaterに対する日本人と西洋人の(文字通りの)温度差、スプーンでの食事の仕方に見る表現の相違など、単なる辞書の訳語では感じられない認識差が楽しめます。

 

古い本ですが、全く色褪せない内容がすごいです。 

 

 

ことばと文化 (岩波新書)

ことばと文化 (岩波新書)

 

 

翻訳できない世界のことば

翻訳できない世界のことば