変わらなきゃ症候群
変わらなきゃいけないとよく言う。
でも一方でみんながみんな変わらなくてもいいのではないかと思っている。
伝統や老舗の味なんかはむしろ変わらない方がいい。工夫を進化と呼ぶかは別として維持するものもある。世界遺産とか。
でも個人にそこまでのモノがある人はまれで、過去の栄光にすがってる人はみっともないという風潮がある。
アーティストがライブで無駄に名曲をアレンジしようものなら、あの時のままでいいのにと言い、シリーズ物の作品は大抵前の方が良かったとなる。あるいは前の感じでちょっとプラスアルファしてくれればいいのにとか。だのになぜ。君はいくのか。
幸い、このブログは読者が限定されており、特殊な訓練を受けた人ばかりなので、前のが良かったとか今後の期待とか、過度のプレッシャーに悩まされる事もなく、湧き水がちょろちょろ流れてる感じで年齢の進行と共にゆったりと書ける。尿もれか。
基本的に僕は保守的である。環境が変化すると簡単には順応できないので、何度も微調整という名目の失敗を重ねながら、熱湯が冷めていくように慣れていき、ぬるま湯に浸かると容易に動かなくなる。
好きな作品は何度も見たり読んだりするし、同じ嗜好の作品を手に取り気に入らないと過去の作品に浸って、やっぱりこっちが殿堂入りだなと決めたくなってしまう。たまにすごい作品に出会ってランキングが上書きされる事もあるけれど、今度はそれが過去の名作として基準になる。
そうしてそれぞれの独自カテゴリーランキングのフォルダにしまいこんで安心する。
つまり、そういう面でも変わらない。
いろんな事に関心が向くので、逆に見られるようだけど本質的には変わらないなぁと思っている。
でも、たくさんの人が変わらなきゃいけないと言うのは、結局みんななかなか変われないという事ではないかと思う。
ただ、私は常に進化してます。あなたは変わらないの?みたいな人は苦手だ。
人には人のペースがあり、僕から見れば変わらなくてもいい人だっている。その人が仮に必死に努力した末でそう見えるのかもしれないけど、ずっと何かに打ち込み続け、守る姿はカッコいいと思う。
それだけ確固とした何かを持っているなんてスゴイと思う。
変わらなきゃと声高に叫ぶ人ほど、何かを変えようと扇動している感満載で上から目線で気づいてないでしょ?早く気づかないといけないよ!と大衆の前に立とうとする。
それはそれでいいけれど、みんなが前に出てしまっては支えるものもいなくなる。
変化とは何を指すかによるかもしれないが、前向きに変えるべきところは変え、そうでないところは守ればいいと思う。
守るとは継続の意味もあり、継続は力なりとも言うではないか。
定義が曖昧で言葉のすり替えに聞こえる人もいるだろう。
何となく言いたいことが伝わればいい。
つまり、このブログはずっとこういうスタンスで、それは変わることがない。