人類の歴史とは?
が話題ですが、その前作の
上巻を読んでみました。
人類が他の動物と違ってなぜ世界を支配するようになったかを俯瞰的に考察する本。
宗教をあまり意識する事のない人ならともかく、特に海外の人は何らかの宗教を信奉しているわけで、それすらも集団を率いる際に必要となる人間が考え出した神話と同じと論ずる説明はかなり過激かもしれません。
法律の祖とも言えるハンムラビ法典やアメリカの独立宣言でさえも、差別と偏見に満ちた勝者側に有利な人工物であり、自分たちの生活を支配している秩序が人類の産物であり、生まれた環境に付随する既成概念の中で自身が知らずに受け入れているものという考えは、国よっては出版禁止にさえなりかねません。
一時代前の日本でも、女性が社会進出をする事自体が疑問視されていたのに、今ではむしろ推奨されます。まだまだ偏見や差別はあると思いますが、昔に比べれば変化しているのも事実。
では、なぜ変化したかと言えば、それはまさに環境がそうさせているわけで、国が変われば常識が非常識になる事さえあり、つまりは人間が考え出した秩序を基準としている事が分かります。
中でも特に興味深かったのは、個人的には人間の最大の発明と思える書記体系です。
アリやミツバチが独特の表現法を用いて、情報を伝達する事は知られていますが、それはある特定の巣の安全性を示すような極めて限られた情報に特化しているに過ぎません。
ところが、人類はもっともっと複雑な事を言葉を使い表現し、文字に残して後世の人々に伝える事ができます。そして、それをもとにさらに情報を有効化(退化する場合もあるでしょうが)し、成熟していきます。
狩猟採集民が伝達し得なかった、大量の情報を今では0か1かでコンピュータに保存し、共有して社会を構築しています。まぁ、それによる年金の消失問題なども出るわけですが。
貨幣という漢字には「貝」の字が使われていますが、これは物々交換から始まり、現代のお金の代わりとなるものが、保存の効く貝だったわけです。
では、その貨幣とは何かと言えば、「信頼」の上で成り立つ物々交換です。
仮想通貨の暴落が問題になった時、それを使用していない人はなぜあんな不確かな物を利用するのかと笑ったかもしれませんが、それは貝を使う前の時代の人類と同じです。
例えば、今僕が日本円を使えない国のどこかで出せば、ただの紙きれにしか過ぎません。
1円が何ドルであるか、金の延べ棒がいくらに換金できるかは、それが通用する社会でしか価値を持ちません。
今、通帳に記載されている数字はそれを使わない人にとってはただの文字ですが、我々にはそれがいくらの価値として社会に通用するかを意識できます。
しかし、ひとたびそれが価値を持たなくなった時、それはただの数字以上の意味は持ちません。
これが大規模の集団を形成する経済の切符であるわけです。
この本を読んでいると、僕はどうしてもこのゲームが浮かんでしまいました。
プレイヤーは何もない土地を掘り起こし、外敵から身を守るために家を建てます。
やがて、食糧を求めるために道具を開発し、地中深くに潜り鉱石を集め、より快適で安全な生活を営み始めます。
初めは一人ですが、住人と交流し、村を作ります。
オンラインでつなげば、別のプレイヤーと冒険に出たり、さらに大きな建造物や街を形成できます。
時には全く知らない異国のプレイヤーとも交流できます。
そうなると、そこには意思を伝達する手段としての言語が介在し、ひいては文化も持ち込まれます。
一定の秩序を保つためには、その世界で共有するためのルールを作らないといけません。
シェアハウスで冷蔵庫の中身をどう使うかというような細かなルールはやがて大きなものへと変容するでしょう。
これは、まさに人類史のリセット状態ではないでしょうか。
育てた小麦を別の物といくつで交換するかは、まさに経済そのもの。
承認制のSNSグループでも似たような秩序はありますよね。
250万年前の人類を考察する意味とは何か。まるでミステリの謎解きのような面白さが書かれています。
最も長く地球を支配されたとされる恐竜でさえも、まだまだ発見されていない種は多いわけですから、あくまで現時点での考察に過ぎないとも言えますが、人類である以上は興味深い本です。