翻訳ソフトで失われるもの

最近、翻訳機が流行している。

 

 

実際に試した事はないけど、スマホの翻訳アプリの進化したものだろうと思う。

 

オリンピックを間近に控え、ますます外国との垣根が取り払われようとする時代になり、当然のアイテムだとは思う。

 

ドラえもんの世界で言えば、ほんやくコンニャクだ。

 

学生の頃は、あれが欲しかった。

 

それがいよいよ現実になっている。

 

しかし、僕は一方で危惧する気持ちを抱く。

 

なるほど、情報を伝達するだけなら素晴らしい。おそらく道案内をするレベルの定型文なら普通に考えるよりも正確なこなれた文章で訳してくれるのだろう。

 

ネットの情報を翻訳変換するとかなりヘンテコな文章になるけれど、それもいずれかなりの精度で訳されるのは間違いない。

 

AIが進化し、蓄積した情報の中から適切な意味を考え、伝わる文章にするのは得意なはずだ。

 

先日、テレビでAIが映像を編集するというものを見たが、ある程度なら意味のつながる場面をつなげてくれるそうだ。

 

笑いのような感性を必要とするものには向かないようだけど、情報だけならより精度も高いだろう。

 

ところで、僕は言葉というものに興味があるので、翻訳された文章というものにも関心がある。

 

ただ、できる事なら自分で訳して理解したい。

 

その意味で電子辞書で単語等を調べるのはいいと思うけど、文章をそのまま訳されるのはあまり好きではない。

 

またそれは先ほどから書いているような意味の信頼度においてという事でもない。

 

例えば、

 

村上春樹「かえるくん、東京を救う」英訳完全読解

村上春樹「かえるくん、東京を救う」英訳完全読解

 

 

というNHKの放送をテキスト化した本から引用させてもらうと、

 

Katagiri found a giant frog waiting for him in his apartment.

 

村上春樹さんの原文では、

 

片桐がアパートの部屋に戻ると、巨大な蛙が待っていた。

 

この解説には、

 

When Katagiri was back in his apartment,he found a giant frog waiting for him.という、いかにも受験英作文の解答に用いられそうな、「〜の時、彼は〜だった」という直訳式の文章ではなく、「彼は〜だった」というシンプルな文章を用いた方が、村上さんの原文に近いニュアンスになると書かれています。

 

僕が言いたいのは、まさにこのニュアンスという部分です。

 

もし、村上さんの原文を翻訳ソフトを使って訳したとして、どちらかに近い文章で訳されたとしても意味は伝わります。

 

ですが、ニュアンスまでは分かりません。

 

もっとも、一人で英訳しても能力の限界で差を感じないかもしれません。

 

では、逆に英訳されたものを日本語に訳してみるならどうでしょうか?

 

それなら日本人である僕は、いろんな日本語が浮かびます。

 

その上で、超一流の作家である村上春樹さんの文章と比べた場合、何らかの差を感じると思います。

 

英語には、日本語になじみのない概念として受動態や無生物主語というのがよく挙げられます。

 

「彼はドアを開けた」は受け身の文章では、「ドアは彼によって開けられた」という日本人が通常使わない訳になり、「空腹が彼を盗みに駆り立てた」は「彼はお腹が空いたので盗んだ」となるわけです。

 

さらに今問題にしているのは、文章の表現力になるのでもう一つ上の段階の話です。

 

「じき」と聞いて「磁器」や「時期」しか浮かばないようでは、語彙力に乏しいと言われても仕方ありません。

 

理系の方なら「磁気」かもしれないし、政治家なら「次期」かもしれませんが、そういう専門性の話ではなく、

 

普通に文章を書く際にも、「時期」「時季」「時機」くらいの使い分けは考えて欲しいものですし、パソコンで変換する際もちょっと吹き出しで出てくる説明文くらいは読んで違いを認識しながら書いて欲しいと思います。

 

以前にも紹介した薬袋善郎(みないよしろう)先生の参考書の一つ

思考力をみがく 英文精読講義

思考力をみがく 英文精読講義

 

 では、a blue sky のblue を「青い」と訳すのか「碧い」と訳すのか未だに自信が無いというエピソードが前書きにありますが、

 

空の深さを示す単語一つをとってもニュアンスの難しさというものはあるわけです。

 

ましてや英語に限らず、世界中の言葉にはその言語特有のニュアンスというものが言葉の裏側にあるはずです。

 

 

翻訳できない世界のことば

翻訳できない世界のことば

 

 

 

「たおやか」という日本語をdelicateと訳される事に違和感も持つ人なら分かって頂けるのではないでしょうか。文意によってはそう訳すしかないでしょうが、そういう話ではなく。

 

もちろん、全ての言語を習得する事は不可能ですから、何らかの補助アイテムに頼った方がいいとは思います。

 

ただ、もし可能ならAIにはそのニュアンスの差を教えてくれる機能も同時に進化してもらいたいと思います。

 

でも、それは少なくともかなりの期間を要するでしょうし、言語をこねくり回す苦しさと楽しさは自分でやってみないと味わえないものではないでしょうか。

 

たとえ情報を得るだけの文章でも、意味するものが別の言語に置き換わっただけでは文化までを理解した事にはならず、時には全く逆の意味を持ってしまう事もあるわけで、人が言語を生み出し、使う以上、やはり人間しか理解できないものがそこにはあるように思います。

 

変換文字を選ぶのは誰か。

 

以上、「翻訳に関する一考察について」お送りしました。明日のこの時間は、「関西弁ってなんやねん。えらいの違いとは?」についてお送りします。この後は、天気予報です。