はずれスライムのつぶやき

どうでもいいことについて適当に考察していきます

季節外れの海の家

こちらは以前紹介した通路にある本棚ディスプレイ

 

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でも、今日その前を通ると、

 

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ただの白い窓。

 

僕はパチンコはしないのですが、よく通る店の前に

 

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という看板が。

 

さらにもう閉店したので、

 

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こちらの方がより具体的でなんかグッとくる。

 

「突然の」という部分が妙にリアルだし、従業員を見かけたらちょっと励ましたくもなるではないか。

 

でも、時すでに遅し。

 

もっと射幸心をあおられていれば。

 

まぁ、自分の性格からしてギャンブルをすると破産すると思うので良かったんだけど。

 

この寂寞感はどこから来るのか。

 

閉店セールは少しワクワクするのに、閉店すると途端に心にぽかんと穴が空く。

 

いつものパン屋が突然、ただの空間になると、商品が、店員が、いたイメージができなくなり淋しくなってしまう。

 

だったらもっと利用してやれよ、というのは後からの意見で、身勝手ながら淋しいものは仕方ない。

 

そうしてまた新たな何かが出来上がり、それが定着し、人々の記憶から消え去る。

 

世代が変われば記憶すらない。

 

まるで老人が最初から老人であったかのような錯覚にとらわれ、いつか自分もその内側から若者を見て郷愁に浸るのだろう。

 

人間や自然ならまだ刻まれたものをそこに見るかもしれないが、無機質な人工物は完全に別の物になるから厄介だ。

 

もしこれが現代文の問題なら、「厄介」には線が引かれ、筆者はなぜそのように感じたのか簡潔に述べよと命令されそうだ。

 

先日、子どもの頃に過ごした家の周りを何十年ぶりかで散策した。

 

幼少期の記憶との違いが、なかなか頭の中で変換されず不思議な気持ちになった。

 

家はそのままあったけれど、風景はすっかり色を変えていた。

 

問2.色を変えたとはどういう意味か説明せよ。また筆者は一体何者か答えよ。

 

これが期待外れの生みの遺影である。

 

ダジャレか。