はずれスライムのつぶやき

どうでもいいことについて適当に考察していきます

辞書を編む

先日の相棒Season17 第3話「辞書の神様」では森本レオさんが辞書を編纂する元教授という役柄で出演していました。

 

お話はもちろんいつもの相棒調なので、殺人事件がメインだったのですが、辞書や辞典に興味のある僕としては、なかなか楽しかったです。

 

森田順平さんも出ていて、やっぱり金八の数学教師のイメージが浮かび、その意味でも楽しめました。

 

さて、その森本レオさんの役は、毎日いろんな言葉を収集をしているというものだったのですが、自分の人生を犠牲にしても、とにかく言葉を吟味することに命をかける変人キャラでした。

 

ですが、やはり言葉の魅力に取り憑かれて生業にしている人って、きっとそうだろうと思います。

 

そういう方から見れば、ど素人の僕でさえも日常気になった言葉は調べて、ノートに少しずつ蓄積されていく自分辞書を眺めるのが楽しみなくらいですから、苦しいなりの楽しさがそこにあるのでしょう。

 

わりと最近のドラマで言えば、

 

地味にスゴイ! 校閲ガール・河野悦子 Blu-ray BOX

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石原さとみがファッション誌に憧れながら、なぜか校閲部に配属され、菅田将暉演じる仮面作家と付き合うという何だかよく分からない恋愛ドラマでしたが、校閲という仕事がドラマで描かれたのは初めてではないでしょうか。

 

漫画家と出版社を描くドラマはわりとありますけど、校閲作業をドラマで見たのは少なくとも僕は初めてでした。

 

ただ、作品の舞台設定の整合性を確かめるためにすぐに取材旅行したり、実際はありえない部分もあったらしく批難の声もあったとか。

 

まぁ、それはドラマですから、地味にスゴイを本当に地味にしてしまったら、ドキュメンタリーでいいわけで。

 

あと、映画だと話題になった

 

 

舟を編む

舟を編む

 
舟を編む (光文社文庫)

舟を編む (光文社文庫)

 

 

ですね。

 

こちらの方がより辞書作りについて興味深い描写が多くて、楽しめました。

 

辞書、字書、辞典、事典、字典、いろんな漢字があって、それを選ぶことが楽しいと思える人にはおすすめです。

 

 高校生が使うことを想定して、ネット用語など1000語を追加した話題の辞典はこちら

三省堂現代新国語辞典 第六版

三省堂現代新国語辞典 第六版

 

 

ちなみに通常の国語辞典に阪神タイガースファン向けの説明が追加されている

 

三省堂国語辞典 第七版 阪神タイガース仕様

三省堂国語辞典 第七版 阪神タイガース仕様

 

 

もあります。

lastの感覚

ときどき、出会った言葉にふわふわと落ち着かないことがある。

 

心のどこかが安定しないような感覚。でも、僕はそういう感覚になることが嫌いではない。

 

たとえばそれがどういうことかを具体的に説明しよう。

 

ちなみにconcreteに「具体的な」という意味があることを知った時は意外な感じがした。

 

どうしても建物に使われるようなコンクリートの方が先に頭に浮かぶ。「抽象的な」という反意語はabstractだが、こちらは特に頭に浮かぶものが無いので受け入れられる。

 

このような場合、僕は意味を頭の中に定着させるためにイメージで捉えようとする。

 

頭の中のもやもやとした抽象的なものがコンクリートのように固まることで具体化するというイメージで言葉の引き出しにしまってある。

 

これは単に日本語としての置換訳を自分の中にしまう行為で、それも未知の言葉に出会った時の楽しみの一つだが、今回はまた別の話で。

 

具体例としては、

 

「気がおけない仲」

 

これは、うちとけあうくらい仲の良い状態なのだが、どうも自分の気が相手に預けられないという風にイメージしてしまい、全く逆の意味に思えてしまう。そういう気持ちを瞬時に否定して、裏返した意味なのだと認識する時の気持ちのゆらぎが、ちょっと自分の中で面白い感覚なのだ。

 

フィクションと言われて、一瞬分からなくなると、ノンフィクション=虚構ではない、だからフィクションは架空のことだと認識し直すような感じ。

 

否定語がつくものは、意味を反転させないと自信を持って使えないような感覚。

 

ぞっとしない話は、怖くない話ではなく、むしろぞっとする話なのだが、ヤバイ話がいい意味なのか悪い意味なのか分からないのに似て、ぞっとしない。

 

さて、ラストに挙げるのはlastである。

 

物語のラストと言えば、最後のオチの部分だが、last yearと言えば昨年である。

 

last night はもちろん「昨日の夜」であり、last weekは「先週」である。

 

lastにはこのように「この前の」とか「最近の」という意味もある。

 

ここで僕は思うのだ。

 

なぜ「最後」が「この前の」や「最新の」という意味になるのだろうか、と。

 

どのような言葉も、意味が先にあって言葉ができたのではないと思う。

 

石を石と言おうと決めた人がいて、それをまた周りの人が石と呼ぼうという共有認識が定着して、common「共通の」sense が常識となる。

 

そして、その言葉を使っていくうちに意味が枝分かれし複数の意味を持つ。

 

そういう考えで僕は言葉を捉えているので、lastに出会った時もこの浮遊感をどう落ち着かそうかと考えた。

 

今ここに行列があったとしよう。

 

大人気のラーメン店に自分が並んでいる。

 

しかも今並んだばかりで、列の一番最後が自分である。

 

ところが、列はどんどん膨らんでいく。

 

自分の後ろに並んだ人から見れば、すでに自分は最後ではない。

 

真後ろに並んだ人からすれば、自分は前の人だ。

 

つまり、立ち位置で変わる順番。

 

では、昨夜というのはどういう状態かと言えば、今日から見た昨日の夜である。

 

今日の夜は時系列に見れば、「最後の」方である。

 

それが、一晩明けたところから見れば、「この前の」に変わる。

 

これが僕の中のlastの枝分かれした意味を捉えるイメージだ。

 

 the latest news は最新のニュースと訳される。

 

lastが本来lateの最上級であったということをふまえると、これもある時点では「最後の」ものであったニュースがそれより後のニュースが無かった場合には、順番的に最後のものが「最新の」ものであるという不思議な感覚に襲われるのは僕だけだろうか。

 

仮に人類滅亡の危機で放送されるニュースなら、これは「最後のニュース」と訳されるのだろう。

 

ピタゴラスイッチで有名な佐藤雅彦さんの

 

毎月新聞 (中公文庫)

毎月新聞 (中公文庫)

 

 

という新聞の形態をとった面白エッセイの中の「日常のクラクラ構造」にこんな話が書かれている。

 

ゴミ袋がいっぱいになったから新しいゴミ袋に取り替えようとすると、たまたま最後の一枚であった。その新品のゴミ袋を、包んでいた透明の袋から取り出し、手元に残っている使いようのなくなった透明袋を今セットしたゴミ袋に捨てた、その瞬間のクラクラした変な感覚。

 

古い財布から新しく買い換えた財布にお金を移し替える瞬間のめまいにも似た気持ち。

 

内側が外側に反転するようなメビウスの輪をたどるような感覚。

 

そんな感覚に僕がなる時、それは最後ではなく、常に最新でワクワクする出会いなのです。

 

 

 

 

 

100回記念 昔のブログを公開します。

昔もはてなブログをしていました。

 

100回記念の禊としてw

 

検索したら出て来たとも言えます。

 

まだあったんだな、これ。

 

ちなみにこっぱずかしいので、削除しようかと思いましたが、パスワードを忘れ、登録メールも変わったため入れませんでした。もはや他人w

 

一応最後の更新は10年前です。

 

d.hatena.ne.jp

 

そんなに今と変わらないかもしれませんが、まぁ暇な方はどうぞ。

 

過去に遡ると結構なボリュームがあります。

 

 

立って座る机

購入してから三ヶ月は経ちますが、買って良かったよシリーズ。

 

紹介するのはこちら。

 

左右のレバーを引くことで、任意の高さに調節できる机。

 

腰痛に悩む僕にとって、文章を書く時に机は切り離せない物であり、極論すれば机が無ければ書けないわけです。

 

もちろんスマホで寝転びながら文章を書く時もあります。

 

でも、ちゃんとした文章を書きたいなら、パソコンか文具を使って紙に書かないと落ち着いて文章を考えることはできません。

 

そして、長時間座って書いていると確実に腰が痛くて集中できなくなります。

 

ところが、この机を使って座ったり立ったり体の状態に合わせて使用すると、集中力が増します。

 

実際、このブログを始めてから次回で100件になりますが、もしスタンディングデスクが無ければろくに更新はしていないと思います。

 

中断の理由は、腰よりもむしろ手首の疲れであって、腰痛に悩まされて書かないということは無くなりました。

 

これは僕にとってはスゴイ事です。諦めていた悩みが解決する嬉しさは誰しも極上と言える物ではないでしょうか。

 

他にも 

デオナチュレ ソフトストーン足指

デオナチュレ ソフトストーン足指

 
デオナチュレさらさらクリーム 45G

デオナチュレさらさらクリーム 45G

 

 

これは足の臭いや蒸れに悩みを持つ人にとっては救世主。

 

突然の飲み会で座敷タイプの店や友人宅の訪問で新しい靴下を持参していない時の恐怖(笑)から解放されます。

 

そもそもこの商品を知るまでは、インソールや脱臭靴下でしか解決することはできないと思い込んでいたので、ちょっと高いですが日々のストレスから解放されるなら安い生活必需品になりました。

 

愛用している今では目薬や歯磨き粉と同じ補充用品でしかありません。日々恩恵を感じて感謝すらしています。

 

腰痛グッズも数知れず購入し、イスやクッションも試してきましたが、一番自分に合っているのは立つことです。

 

そして、疲れたら座るか横たわる。なんて当たり前なんでしょう(笑)

 

しかし、以前はイスに座らないと机が使えない=腰が痛い=文章が書けない=勉強ができない=やる気がでないという悪循環でした。

 

読書は姿勢を選ばないのでできますが、ただ読み流すだけでは内容にもよりますが、なんとなくテレビを眺めているのと変わりません。

 

僕の場合、考えるタイプの読書は感想を文章化しないと自分の物にはなりません。

 

生活が変わる道具というのは、たとえ高くても買うものです。日々の地味なストレスって結構大きいですよね。

 

もし、僕と同じような悩みを持つ方がいらっしゃれば、スタンディングデスクはおすすめです。探せばいろんな幅の物がありますよ。

書ければいいじゃん〜ボールペンと万年筆

www.icoro.com

 

書くことについては、断然手書き派の僕なのですが、何を使うかについては別に何でもいいと思います。

 

一番のこだわりは書きやすくて、手が疲れないものであればそれでいい。

 

ただその選択肢の中に万年筆は外せないというのが現在の僕。

 

そして、未だに万年筆がしっくりこないというのも現在の僕。

 

でも、いつかは手になじむ万年筆に出会えるのではないかというのも現在の僕が抱く理想であり妄想。

 

そうそう、理想で妄想。想像以上の幻想、YO!

 

などと良く分からないDJをしてみんとす。もう少し寒さに耐えて下さい。

 

水性ボールペンは長持ちでインクも替え芯を交換するだけで楽ですよね。

 

でも、ずっと書いているとやっぱり手首に負担が来るんです。

 

一方、万年筆はインクを補充する手間はあるものの、紙の上を滑るように書ける気がします。

 

ただ、まだしっくりと来ている感覚ではないので、本当に自分に合うものと出会えればもっとその感覚が増すのでしょう。

 

この辺りはキーボードの打感に近いのかもしれません。

 

マウス一つでも新しい物にすると、何かしっくりこない違和感みたいな感じ。

 

万年筆のキャップはインクの乾きを防ぐため、圧倒的にネジ式が多いのですが、いわゆるボールペンのフタのようにパチンとはめこむ嵌合式(かんごうしき)が理想。

 

つまり、思った時にすぐに書いて、考えている間はフタをはめる事ができる物がいいです。

 

中には

 

パイロット 万年筆 キャップレス FC15SRBF ブラック

パイロット 万年筆 キャップレス FC15SRBF ブラック

 

 

というシャーペンのようにお尻を押せばペン先が現れる物もあるのですが、重さや重心が自分にしっくり来るかは、まさに感覚。

 

ペンの太さは中細字のFM(ファインミディアム)が好みではあります。

 

そして、万年筆といえばデザインも気になります。軸の太さも。

 

さらにインク沼と言われるインクの種類もこだわり出せばキリがない。

 

黒に近い色でも

 

 

色彩雫(いろしずく)のネーミングはその名前だけで素敵です。

 

赤ではなくて、

 

 

 

とか。

 

コスモスを秋桜と書くのは、さだまさしさんの名曲に由来するらしいですが、この感覚の素晴らしさは日本人でしか共有できないと思います。

 

言葉の持つ力で商品の購買力をあおるものとしては、例えば「生(ナマ)」ですね。

 

生ビールから生茶が生まれ、最近では生レンズなんてコンタクトもあります。

 

語感の持つ力がイメージを引き出し、何だか惹かれてしまう。これが馴染みのない言語だとそもそもイメージすらできないわけです。

 

生け花をフラワーアレンジメントと表現していいものかどうか。ワイドショーのコメンテータに何だかよく分からないカタカナの肩書きがつくだけで専門家のような気がする感じ。

 

話がそれてきましたが、ボールペンが普及するまでは万年筆は一般的な文具であったわけですが、今は逆に新鮮な文具として安価な万年筆がヒットし、手間をかわいいと感じる世代に受ける不思議さ。

 

 

 

 

 

 

初心者向けの万年筆が、万年筆の世界を支え、愛好家を生むなら大歓迎ですし、そもそも値段よりも書きやすさで決めれば何でもいいのですが、高い万年筆にはそれなりの工夫があり、書けば書くほど(今風に言えば)カスタマイズされるペン先というのは魅力的です。

 

何も書きたいことが無くても、ちょっと線でも引いてみたいと思わせるのが万年筆のすごさ。そして、文章を手書きすれば自然に言葉を調べて文章を推敲する面白さを味わえます。

 

今生まれた世代の方がキーボードをペン代わりに扱ったまま過ごせば、そこには文章に対する新たな考えが根付いていくでしょう。僕はそれはそれで仕方ないし、特に否定するわけでもないですが、この先も手書きをやめることはないと思います。

 

少なくとも僕は今こうしてキーボードで文章を考えるレイテンシーがどうももどかしくてストレスです。

 

これは世代の差であり、どうしようもないですね。

 

そして、手で書く道具にノンストレスを望むことは、僕にとってはパソコンにキーボードの打感や処理速度を求めるような感覚に近いものです。

人類の歴史とは?

 

ホモ・デウス 上下合本版 テクノロジーとサピエンスの未来

ホモ・デウス 上下合本版 テクノロジーとサピエンスの未来

 

 

が話題ですが、その前作の

 

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

 

 

上巻を読んでみました。

 

人類が他の動物と違ってなぜ世界を支配するようになったかを俯瞰的に考察する本。

 

宗教をあまり意識する事のない人ならともかく、特に海外の人は何らかの宗教を信奉しているわけで、それすらも集団を率いる際に必要となる人間が考え出した神話と同じと論ずる説明はかなり過激かもしれません。

 

法律の祖とも言えるハンムラビ法典アメリカの独立宣言でさえも、差別と偏見に満ちた勝者側に有利な人工物であり、自分たちの生活を支配している秩序が人類の産物であり、生まれた環境に付随する既成概念の中で自身が知らずに受け入れているものという考えは、国よっては出版禁止にさえなりかねません。

 

一時代前の日本でも、女性が社会進出をする事自体が疑問視されていたのに、今ではむしろ推奨されます。まだまだ偏見や差別はあると思いますが、昔に比べれば変化しているのも事実。

 

では、なぜ変化したかと言えば、それはまさに環境がそうさせているわけで、国が変われば常識が非常識になる事さえあり、つまりは人間が考え出した秩序を基準としている事が分かります。

 

中でも特に興味深かったのは、個人的には人間の最大の発明と思える書記体系です。

 

アリやミツバチが独特の表現法を用いて、情報を伝達する事は知られていますが、それはある特定の巣の安全性を示すような極めて限られた情報に特化しているに過ぎません。

 

ところが、人類はもっともっと複雑な事を言葉を使い表現し、文字に残して後世の人々に伝える事ができます。そして、それをもとにさらに情報を有効化(退化する場合もあるでしょうが)し、成熟していきます。

 

狩猟採集民が伝達し得なかった、大量の情報を今では0か1かでコンピュータに保存し、共有して社会を構築しています。まぁ、それによる年金の消失問題なども出るわけですが。

 

貨幣という漢字には「貝」の字が使われていますが、これは物々交換から始まり、現代のお金の代わりとなるものが、保存の効く貝だったわけです。

 

では、その貨幣とは何かと言えば、「信頼」の上で成り立つ物々交換です。

 

仮想通貨の暴落が問題になった時、それを使用していない人はなぜあんな不確かな物を利用するのかと笑ったかもしれませんが、それは貝を使う前の時代の人類と同じです。

 

例えば、今僕が日本円を使えない国のどこかで出せば、ただの紙きれにしか過ぎません。

 

1円が何ドルであるか、金の延べ棒がいくらに換金できるかは、それが通用する社会でしか価値を持ちません。

 

今、通帳に記載されている数字はそれを使わない人にとってはただの文字ですが、我々にはそれがいくらの価値として社会に通用するかを意識できます。

 

しかし、ひとたびそれが価値を持たなくなった時、それはただの数字以上の意味は持ちません。

 

これが大規模の集団を形成する経済の切符であるわけです。

 

この本を読んでいると、僕はどうしてもこのゲームが浮かんでしまいました。

 

Minecraft (マインクラフト) - Switch

Minecraft (マインクラフト) - Switch

 

 

プレイヤーは何もない土地を掘り起こし、外敵から身を守るために家を建てます。

やがて、食糧を求めるために道具を開発し、地中深くに潜り鉱石を集め、より快適で安全な生活を営み始めます。

 

初めは一人ですが、住人と交流し、村を作ります。

 

オンラインでつなげば、別のプレイヤーと冒険に出たり、さらに大きな建造物や街を形成できます。

 

時には全く知らない異国のプレイヤーとも交流できます。

 

そうなると、そこには意思を伝達する手段としての言語が介在し、ひいては文化も持ち込まれます。

 

一定の秩序を保つためには、その世界で共有するためのルールを作らないといけません。

 

シェアハウスで冷蔵庫の中身をどう使うかというような細かなルールはやがて大きなものへと変容するでしょう。

 

これは、まさに人類史のリセット状態ではないでしょうか。

 

育てた小麦を別の物といくつで交換するかは、まさに経済そのもの。

 

承認制のSNSグループでも似たような秩序はありますよね。

 

250万年前の人類を考察する意味とは何か。まるでミステリの謎解きのような面白さが書かれています。

 

最も長く地球を支配されたとされる恐竜でさえも、まだまだ発見されていない種は多いわけですから、あくまで現時点での考察に過ぎないとも言えますが、人類である以上は興味深い本です。

 

 

 

 

 

 

翻訳ソフトで失われるもの

最近、翻訳機が流行している。

 

 

実際に試した事はないけど、スマホの翻訳アプリの進化したものだろうと思う。

 

オリンピックを間近に控え、ますます外国との垣根が取り払われようとする時代になり、当然のアイテムだとは思う。

 

ドラえもんの世界で言えば、ほんやくコンニャクだ。

 

学生の頃は、あれが欲しかった。

 

それがいよいよ現実になっている。

 

しかし、僕は一方で危惧する気持ちを抱く。

 

なるほど、情報を伝達するだけなら素晴らしい。おそらく道案内をするレベルの定型文なら普通に考えるよりも正確なこなれた文章で訳してくれるのだろう。

 

ネットの情報を翻訳変換するとかなりヘンテコな文章になるけれど、それもいずれかなりの精度で訳されるのは間違いない。

 

AIが進化し、蓄積した情報の中から適切な意味を考え、伝わる文章にするのは得意なはずだ。

 

先日、テレビでAIが映像を編集するというものを見たが、ある程度なら意味のつながる場面をつなげてくれるそうだ。

 

笑いのような感性を必要とするものには向かないようだけど、情報だけならより精度も高いだろう。

 

ところで、僕は言葉というものに興味があるので、翻訳された文章というものにも関心がある。

 

ただ、できる事なら自分で訳して理解したい。

 

その意味で電子辞書で単語等を調べるのはいいと思うけど、文章をそのまま訳されるのはあまり好きではない。

 

またそれは先ほどから書いているような意味の信頼度においてという事でもない。

 

例えば、

 

村上春樹「かえるくん、東京を救う」英訳完全読解

村上春樹「かえるくん、東京を救う」英訳完全読解

 

 

というNHKの放送をテキスト化した本から引用させてもらうと、

 

Katagiri found a giant frog waiting for him in his apartment.

 

村上春樹さんの原文では、

 

片桐がアパートの部屋に戻ると、巨大な蛙が待っていた。

 

この解説には、

 

When Katagiri was back in his apartment,he found a giant frog waiting for him.という、いかにも受験英作文の解答に用いられそうな、「〜の時、彼は〜だった」という直訳式の文章ではなく、「彼は〜だった」というシンプルな文章を用いた方が、村上さんの原文に近いニュアンスになると書かれています。

 

僕が言いたいのは、まさにこのニュアンスという部分です。

 

もし、村上さんの原文を翻訳ソフトを使って訳したとして、どちらかに近い文章で訳されたとしても意味は伝わります。

 

ですが、ニュアンスまでは分かりません。

 

もっとも、一人で英訳しても能力の限界で差を感じないかもしれません。

 

では、逆に英訳されたものを日本語に訳してみるならどうでしょうか?

 

それなら日本人である僕は、いろんな日本語が浮かびます。

 

その上で、超一流の作家である村上春樹さんの文章と比べた場合、何らかの差を感じると思います。

 

英語には、日本語になじみのない概念として受動態や無生物主語というのがよく挙げられます。

 

「彼はドアを開けた」は受け身の文章では、「ドアは彼によって開けられた」という日本人が通常使わない訳になり、「空腹が彼を盗みに駆り立てた」は「彼はお腹が空いたので盗んだ」となるわけです。

 

さらに今問題にしているのは、文章の表現力になるのでもう一つ上の段階の話です。

 

「じき」と聞いて「磁器」や「時期」しか浮かばないようでは、語彙力に乏しいと言われても仕方ありません。

 

理系の方なら「磁気」かもしれないし、政治家なら「次期」かもしれませんが、そういう専門性の話ではなく、

 

普通に文章を書く際にも、「時期」「時季」「時機」くらいの使い分けは考えて欲しいものですし、パソコンで変換する際もちょっと吹き出しで出てくる説明文くらいは読んで違いを認識しながら書いて欲しいと思います。

 

以前にも紹介した薬袋善郎(みないよしろう)先生の参考書の一つ

思考力をみがく 英文精読講義

思考力をみがく 英文精読講義

 

 では、a blue sky のblue を「青い」と訳すのか「碧い」と訳すのか未だに自信が無いというエピソードが前書きにありますが、

 

空の深さを示す単語一つをとってもニュアンスの難しさというものはあるわけです。

 

ましてや英語に限らず、世界中の言葉にはその言語特有のニュアンスというものが言葉の裏側にあるはずです。

 

 

翻訳できない世界のことば

翻訳できない世界のことば

 

 

 

「たおやか」という日本語をdelicateと訳される事に違和感も持つ人なら分かって頂けるのではないでしょうか。文意によってはそう訳すしかないでしょうが、そういう話ではなく。

 

もちろん、全ての言語を習得する事は不可能ですから、何らかの補助アイテムに頼った方がいいとは思います。

 

ただ、もし可能ならAIにはそのニュアンスの差を教えてくれる機能も同時に進化してもらいたいと思います。

 

でも、それは少なくともかなりの期間を要するでしょうし、言語をこねくり回す苦しさと楽しさは自分でやってみないと味わえないものではないでしょうか。

 

たとえ情報を得るだけの文章でも、意味するものが別の言語に置き換わっただけでは文化までを理解した事にはならず、時には全く逆の意味を持ってしまう事もあるわけで、人が言語を生み出し、使う以上、やはり人間しか理解できないものがそこにはあるように思います。

 

変換文字を選ぶのは誰か。

 

以上、「翻訳に関する一考察について」お送りしました。明日のこの時間は、「関西弁ってなんやねん。えらいの違いとは?」についてお送りします。この後は、天気予報です。